レベル1 たとえ話 アーカイブ

イエス様の たとえ話: 種まきの 話

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イエス様の たとえ話:種まきの 話

ルカによる 福音書 8:5-15を もとに

 イエス様は 神の国について 話していた 時、このような たとえ話を 話してくださいました。「種まきが 種を まきに 出て行った。まいているうちに、ある種は 道ばたに 落ち、踏みつけられ、そして 空の 鳥に 食べられてしまった。 ほかの 種は 岩の 上に 落ち、生えは したが 水気が ないので 枯れてしまった。 ほかの 種は、いばらの 間に 落ちたので、いばらも いっしょに 茂ってきて、それを ふさいでしまった。 ところが、ほかの 種は 良い 地に 落ちたので、生え育って 百倍もの 実を 結んだ。」(ルカによる 福音書 8:5-8)

 弟子達は、この たとえ話は どういう 意味でしょうか、と イエス様に たずねました。そこで イエス様は、種は 神様の み言葉で、それが 落ちた 様々な 地面とは、人々の、神様の み言葉の 様々な 受け留め方を 表しているのだと 説明してくださいました。

 この たとえ話は、マタイによる 福音書の 13:1-23と、マルコによる 福音書の 4:3-20にも 書かれています。

おろかな 金持ち

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おろかな 金持ち

ルカによる 福音書 12:16-21より

おろかな 金持ち:食べきれないほどの 豊作だぞ。

おろかな 金持ち:作物を しまっておく 場所が ないな。ほかの 者に あげたくは ないし。そうだ、こう しよう。もっと 大きな 倉を 建てれば いいんだ! そうすれば、全部の 作物を 自分だけのために 取っておけるぞ!

 聖書は、ほかの 人の 助けに なるようにと 教えています。それが、神様が 祝福される ことです。

 「ほどこし散らして、なお 富を 増す 人が あり、与えるべき ものを おしんで、かえって 貧しくなる 者が ある。」(口語訳聖書、箴言 11:24)

 けれども この人は、自分では 食べきれない 作物も 全部、ためこんで しまいました。

 「自分のために たくわえても、神を 愛し、ほかの 人たちを 助けるようにとの 神の 呼びかけに 応じない 者は、それと 同じです。」(ルカによる福音書 12:21参照)

おろかな 金持ち:これからは、人生を 満喫するぞ! もう 2度と 働かなくて いいんだ。

神様:だが、あなたは すぐ 死ぬだろう。そうしたら、あなたが ためこんだ 物は、だれの 物に なるのか?

 この人は、豊作で 得た 余分な 作物を、どうすれば よかったと 思いますか?

 「貧しい 者を あわれむ 者は 主に 貸すのだ、その ほどこしは 主が つぐなわれる。」(口語訳聖書、箴言 19:17)

「七度行きなさい」

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「七度 行きなさい」

列王記上 第18章 41-45節の 再話、祈りについての 教訓

 「エリヤは、わたしたちと 同じような 人間でしたが、雨が 降らないようにと 熱心に 祈ったところ、三年半に 渡って 地上に 雨が 降りませんでした。しかし、再び 祈ったところ、天から 雨が 降り、地は 実を 実らせました。」(新共同訳聖書、ヤコブの 手紙 5:17-18)

エリヤ、雨が 降るように 祈る:

 地上に 雨が 1てきも 降らない 日照りが 3年以上も 続いた 後、エリヤは カルメル山に 登り、地に ひれふして、雨が 降るように 必死に 祈ります。祈り終わると、エリヤは しもべに 言いました。「さあ、はやく 行って、海の方を 見て来なさい。そして、天気が どうなっているか、教えておくれ。」

 しもべは 走って行きました。そして、がっかりしながら もどって来ると、エリヤに 言いました。「ご主人様、何も ありません!」

 けれども、エリヤは あきらめませんでした。祈り続けると、しもべを また 見に 行かせました。それを、7度も くり返したのです。(列王記上 18:42-43)

 しもべは 7度目に 行って もどって来ると、興奮しながら 言いました。「海の かなたに、手のひらほどの 小さな 雲が 見えました。」 それは、エリヤの 祈りが 答えられたことの しるしでした!(列王記上 18:44-45)

 エリヤは、日照りが 終わり、大雨が 降るのだと 分かりました! そして、確かに 大雨が 降ったのです!

 エリヤは、わたしたちと 同じような 感情を 持った ただの 弱い 人間でしたが、彼の 祈りは 奇跡を 起こしました! だから、あなたの 祈りも、奇跡を 起こすことが できるのです!

やもめと 不正な 裁判官

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やもめと 不正な 裁判官

ルカによる 福音書 18:1ー8の 再話、祈りについての 教訓

 イスラエルの ある 町に、人に 対して 情けを 持たない ことで 知られた 裁判官が いました。裁判官の 仕事は、人々の かかえる 問題を 聞き、何らかの 解決策を とることでした。けれども、この 裁判官は 神を おそれず、庶民の かかえている 必要など 気にも 留めませんでした。

さて、そこに 貧しい やもめが いました。夫に 先立たれ、子供たちを かかえて 一人ぼっちに なってしまったのです。

 ある日の こと、やもめが 裁判官の もとへ 来ました。彼女の 家族に いろいろと めんどうを かける 人が いるので、相談に 来たのです。

 「住む 家が なくなってしまうのでは ないかと 心配です。わたしたちには もう、家しか 残って いないのに!」と、やもめは 言いました。

 年老いた 裁判官は、しかめっ面を しました。(フン! 問題を かかえた やもめなど、うんざりだわい。わしには、ここに 座って やもめの 話を 聞くよりも 大事な 仕事が あるのじゃ。)

 裁判官は ぶつくさ 言いました。「女よ、わしが いそがしいのが 見えんのか! あんたの つまらぬ 問題など、聞いてる ヒマは ないんじゃ。帰りなされ。もし 問題が 続くようなら、そのうち、いそがしい 合間を ぬって 話を 聞いてやらんことも ないかも しれんが。まあ、当てに しない ことだ。さっさと 帰りなさい!」

 けれども、やもめは あきらめませんでした。

 やもめは 何度も 何度も 裁判官の ところに 来ては、うったえ続けました。そして とうとう、裁判官も 何とか しようと 思ったのです。

 (わしは この女に 起こっている ことなんて、関心も ないが、もし 何も しないで いるなら、この女は 何度でも もどって来て、わしを なやますに ちがいない!) そう 思った 裁判官は、彼女に 問題を 起こす 人たちが これ以上 問題を 起こせないように、やもめの ために なる 判決を 下しました。

 イエス様が この 物語を 話し終えると、弟子たちに たずねました。「この 不正な 裁判官の 言っている ことを 聞いたか? もし 不正な 裁判官でも、やもめが うるさくて かなわないからという 理由だけで そこまで するなら、まして 神は、ご自身の 子供たちの さけび声に 耳を かしてくださらないだろうか? 言っておくが、神は、子供たちのために 正しい 裁きを してくださるだろう。」

 神様は、そのような 冷たく 無情な 裁判官とは 全く ちがい、わたしたちの 祈りに 答え、必要な ものを 与えたいと 願っておられます。神様が 答えを もたらすのに、1回だけでは なく、もっと 祈らなければ ならない 物事も あります。ですから、神様が 答えてくださるまで、神様の 愛情深い 世話を 信頼し続けることが 大切です。

 また、必ずしも わたしたちが 祈りで 切に 求め続けた 形で 神様が 答えを もたらしてくださるとは 限らないと 理解しておくことも、大切です。わたしたちが 望んだ 形では なく、ちがった 形で 神様が 答えてくださったと しても、神様が 公明正大な 愛情あふれる 父であることに 変わりは ないことを 思い出して、元気を 出しましょう。神様は、最善で あると ご存じの 方法で、ご自身の み心に 沿って、ご自身の タイミングに 答えてくださるのですから。

真夜中に 呼び出される

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真夜中に 呼び出される

ルカによる 福音書 11:5-10の 再話、祈りについての 教訓

 夜の 静けさを 打ち破るように、ドアを ノックする 大きな 音が 鳴り響いた。ジョサムは、最初は 夢でも 見ているのかと 思った。だが、近所の サイラスが 自分を 呼ぶ 声が 聞こえて、夢では ないと 分かった。

 「サイラスかい?」 ジョサムが 聞き返した。(お向かいの サイラスが、こんな 真夜中に、一体 何の 用事だと いうのだろうか?) ジョサムは ベッドの 上で 身を 起こした。

 外では、いてつくような 寒さに ふるえながら、サイラスが 窓に 顔を くっつけている。サイラスは 大声で 近所の 人たちを 起こして しまわないよう、ささやき声で 言った。「ジョサム、夜分 おそくに 申し訳ない。友人が 長旅から、たった今 着いたばかりなんだ。お腹を すかせているんだが、あいにく 出す 物が 何も なくて。パンは ないだろうか?」

 ねている 子供たちを 起こさぬよう、ジョサムは あくびを しながら 小声で 言った。「分かったよ、サイラス。真夜中だけど、何とか しよう・・・。」

 「本当に 助かるよ、ジョサム! よっぽどの ことでも なけりゃ、君を 起こすことも なかったんだが。」

 イエス様は 弟子たちに、たとえ話を しておられたんだ。家族と いっしょに ね静まっていた 人が、こんな 真夜中に 助けを 求めてきた 人を 助けてくれるなら、神様なら、どれだけ 喜んで わたしたちの 祈りに 答えてくれるだろうか、という たとえだね。

 これは むずかしすぎる 願い事なんじゃ ないかなと 心配することは ないよ。神様には、いそがしすぎて わたしたちの ことを 構っていられない、なんて ことも ないからね。神様は、わたしたちの 愛情深い 天の お父さんだから、喜んで わたしたちの 祈りに 答えたいと 思っておられるんだ。

 イエス様は、この たとえ話を こんな 言葉で しめくくっている。「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。さがせ、そうすれば 見いだすであろう。門を たたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて 求める 者は 得、さがす 者は 見いだし、門を たたく 者は あけてもらえるからである。」(口語訳聖書、ルカによる 福音書 11:9-10)

 君や 君の 家族や 友だちには、何か お願いしたいことが あるかな? 大胆に 祈って、願いを 神様に 伝えてごらん。神様は、ご自身が 最善と 知っておられる 方法で 答えてくださるよ。