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神様って どんな 方?:神様って、どこから 来られたの?

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神様って どんな 方?:神様って、どこから 来られたの?

 ある時、神様を 賛美していた モーセが、神様は 永遠であるという ことを 言った。

モーセ:山が まだ 生まれず、あなたが まだ 地と 世界とを 造られなかったとき、とこしえから とこしえまで、あなたは 神で いらせられる。*1*

 神様は いつも、そして いつまでも、存在しておられるんだ!

 神様は、わたしたちを 放っておかれる ことは しない。それは、神様では ない。

 神様は、わたしたちを 愛しておられ、気づかっておられるんだ。わたしたちが 必要な 時には いつでも、すぐ そばに おられるんだよ。

神様って、死ぬことは あるの?

 パウロは、神様が 死ぬことは ないと 言っている。神様は 「不死」の 存在、つまり、永遠に 生き続けるという 意味だよ。(テモテへの第一の手紙 6:16、口語訳聖書)

 「永遠の 王、不滅で 目に 見えない ゆいいつの 神に、ほまれと 栄光が 世々限りなく ありますように」(テモテへの 手紙一 1:17、新共同訳聖書)。

 愛の 神様は、いつでも わたしたちの そばに おられるんだよ!

脚注:

*1* 詩篇 90:2、口語訳聖書

神様 !

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神様!

 神様は 天国に いられるけど、現実的な 世界で 働いておられるんだよ。

 神様は、霊的な 祝福や 報酬だけでは なく、形のある 物質的な 祝福や 報酬も 下さるんだ。

 神様は、天国の 神様だけど、地上の 神様でも あるんだ。

 神様は、天国や 地上を もっと 超えた 存在。その 両方を 治められ、その 両方に 住まわれ、その 両方を 支配され、その 両方を 創造された。そして、その 両方の 世界で 使える 通貨を 供給する 力を 持っておられるんだ。

神様って どんな 方?神様ってどこにいるの?

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神様って どんな 方?:神様って、どこに いるの?

 神様って、どこに 住んでいるのかしら?

 その 質問の 答えは、聖書に 書かれているわ。神様は こう 言われたの。

 「わたしは 天と 地とに 満ちているではないか」(エレミヤ書 23:24、口語訳聖書)。

 「天は わたしの 王座、地は わたしの 足台」(イザヤ書 66:1、新改訳聖書)。

神様は、どこにでも おられるの!

 神様が どこにでも おられると 知ると、どんなに 大きな はげみに なるか、ダビデ王は こう 書いているわ。

 「わたしは どこへ 行って、あなたの み霊を はなれましょうか。わたしは どこへ 行って、あなたの み前を のがれましょうか。わたしが 天に のぼっても、あなたは そこに おられます。わたしが 陰府(地獄)に くだっても、あなたは そこに おられます」(詩篇 139:7-8、口語訳聖書)。

 わたしたちは どこに いても、神様を 見つけられるのよ。

神様って どんな 方? 神様を 見ることって、できるの?

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神様って どんな 方?:神様を 見ることって、できるの?

 使徒ヨハネは、この 質問への 答えを こう 書き記している。「神を 見た 者は まだ ひとりも いない」(ヨハネによる福音書 1:18、口語訳聖書)。つまり、わたしたちには 神様は 見えないんだ。「神は 霊」だからだよ(ヨハネによる福音書 4:24、口語訳聖書)。

 それは、風と 似ている。風(動いている 空気)は、それ自体では 目に 見えないけど、風に ふかれて なびいている ものを 見れば、風が あるんだと わかるよね。

 さて、神様は わたしたちに 彼のことを 知ってほしいので、彼の 存在が 映し出されているのを わたしたちが 見て 分かるように してくださった。聖書には、神様の 見えない 部分は、世界中の 神の 創造物に 現れていると 書かれている(ローマ人への手紙 1:20)。

聖書には、天が 神の 栄光を 表しているとも 書かれているよ(詩篇 19:1)。今度 美しい 日の出や 日の入り、または 星で いっぱいの 夜空を 見るときには、そのことを 思い出してみてね。神様が、その すべてを 造ってくださった。それは、神様の 壮大な 作品なんだ!

 神様が どんな 方かを 知る 方法が、もう1つ あるよ。神様は わたしたちが、神の 御子である イエス様を 通して 神様を 知ることを 願っておられるんだ。ヨハネは、天の 父に とても 近い 一人子が 神様を 表したと 書いている(ヨハネによる福音書 1:18)。

 イエス様は 人として 地上で くらしたので、わたしたちのことが よく わかり、神様が どんな 方かを わたしたちに 教えやすいんだ。だから、わたしたちが イエス様を 見て、イエス様の 物事の やり方を 学ぶなら、神様が どのような 方なのか、わかるんだよ。

 ほかにも、神様の 現れを 見、また 神様について 知る 方法は あるよ。ヨハネは 後のほうで、こんな ことも 書き記している。「もし わたしたちが たがいに 愛し合うなら、神は わたしたちの うちに いまし、神の 愛が わたしたちの うちに 全うされるのである」(第1ヨハネ 4:12、口語訳聖書)。

 つまり、神様の 愛情深い やり方に 従っている 人たちの 愛の こもった 行いを 通して、神様を 見ることが できるということなんだ。そして わたしたちも、神様の 愛を 示すことで、他の人たちに 神様を 見させてあげることが できるんだよ。

神様って どんな 方? 神様は、力強い!

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神様って どんな 方?:神様は、力強い!

 主よ、大いなる ことと、力と、栄光とは あなたの ものです。(歴代志上 29:11、口語訳聖書)

 神様は 宇宙を 動かす 力で あり、命の 源なんだ。あらゆる ものの 背後に ある、愛に 満ちた 霊的な 力なんだよ。「主は その 力を もって 地を 造られた。」(エレミヤ書 10:12、口語訳聖書)

 「力」って いうと、どんな ことが 思い浮かぶ?

 重量あげを する 強い 男の 人かな。ギリシャ神話に 出てくる、地球を 持ちあげられるほど 強い アトラスみたいなね。

それか、宇宙に 衛星を 打ち上げられるほどの エネルギーかな。

 それとも、何かの 理由で 電気が 切れ、明かりや コンピューターが つけられなくて、みんなが 「停電だ(英語では『There's no power』、つまり『パワーがない』という言い方をする)」って 言う時の ことが 思い浮かぶかな。

 上に あげたように、力と いっても、いろいろな 種類の ものが あるよね。だけど、神様みたいに 大きな 力が あるものは、ほかに 何も ないんだ。

 神様の 力は、いろんな 方法で 見ることが できるんだよ。例えば、命の 力。小さな りんごの 種を 発芽(芽を 出すこと)させ、りんごの 実が なる 大きな 木に 成長させる エネルギーが ある。

 神様の すばらしい 力は、赤ちゃんの 中に 見ることも できるよ。最初のうち、赤ちゃんは 小さいよね。

 でも、赤ちゃんは 成長して 子供に なり、それから 十代の 若者に なり、そして 大人に なる。

 神様は、あらゆるものの 背後に いる、とてつもなく 大きくて 愛に 満ちた 霊的な 存在なんだ。神様こそ、世界を 造った 愛の 力なんだよ。聖書に 書いてあるように、「神は 愛」(第1ヨハネ 4:8)で、愛の 力である 神様こそ、世界一 大きな 力なんだ!

神様の 大きな 愛

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神様の 大きな 愛

 神様は この 世界を、わたしたちが 住むための すばらしい 場所として 造ってくださったんだよ。神様と 親しくしながら、愛と 幸せに 満ちた くらしが できるようにね。神様は わたしたちを 愛していて、わたしたちに、そばに いてほしいんだ。ご自分が 創造された 男の 人たちや 女の 人たちや 子供たちと、いっしょに いるのが 好きなんだよ。

 だけど、わたしたちは 神様の 言いつけを いつも 守るとは 限らない。やさしくない ことを して、「罪」を 犯す ことも あるしね。「罪」とは、聖書に 書かれている 神様の 決まりに 従って くらさない ときに してしまう ことだよ。

聖書には、すべての 人は 罪を 犯すと 書かれている。「すなわち、すべての 人は 罪を 犯したため、神の 栄光を 受けられなく なっており、」(ローマ人への手紙 3:23、口語訳聖書)

 神様は 愛で、愛は、神様が わたしたちの くらしに 表された ものなんだ。ほかの 人に 対して 不親切だったり、人を きずつけたり、正しく くらすための 神様の 決まりに 従っていない ときには、わたしたちは、神様や 他の 人たちに 対して、罪を 犯してしまう。わたしたちを 神様から 遠ざけるのは、自分自身の 罪なんだ。

 神様は、わたしたちの 1人1人を とっても 愛していて、だれとも はなれたいなんて、思っておられないんだ。それで、わたしたちに ご自分の 愛を 表すために、2000年前、ご自分の たった 1人の 息子だった イエス様を、この 地上に 送られたんだよ。わたしたちが 自分の 罪から 救われ、神様と 近く なれるようにね。

 「神は その ひとり子を 賜わったほどに、この 世を 愛してくださった。それは 御子を 信じる 者が ひとりも 滅びないで、永遠の 命を 得るためである。」(ヨハネによる福音書 3:16、口語訳聖書)

 イエス様は、いつも 神様に 従って、すべての ことを 愛を こめて された。地上で くらしていた 間、イエス様は わたしたちに、神様が 望んでおられる 愛情深い 生き方の お手本を 示してくださっていたんだ。イエス様は、君や わたしと 同じような 人間だったけど、聖書の ヘブル人への 手紙の 4章15節には、彼が 神の 御子として、わたしたちと 大きく ちがう 点が 書かれている。つまり、イエス様は 1度も 罪を 犯さなかったって ことなんだ。

 聖書には、イエス様は 罪は 犯されなかったけど、すべての ことに ついて、わたしたちと 同じように 誘惑に あわれたので、わたしたちの 弱さが 理解できると 書かれているよ。(ヘブル人への手紙 4:15)

 神様は、イエス様が 命を ささげて わたしたちの 罪を つぐない、その後 死から よみがえって、また 生きることが できるようにと 計画された。

 わたしたちの 罪を つぐなうために 死という 代価を はらい、その後 死に 打ち勝った イエス様は、わたしたちを 罪から 救い、永遠の 命を 下さることが できるようになったんだよ。

イエス様が、わたしたちの 罪を つぐなうために ご自分の 命を 与えてくださった ことや、その後 死から よみがえられた ことについて、福音書で 読んでごらん。(マタイ 26-28章、マルコ 14:43-16:20、ルカ 22:39-24:53、ヨハネ 18-20章)

 わたしたちは 時々 罪を 犯すけど、それを つぐなうために ご自分の 命を 与えて 死んでくださった イエス様に 感謝する ことで、わたしたちは 神様の そばに いることが できるんだ。罪を 犯してしまったなら、ゆるしを 求め、今度は もっと よく やれるように 努力すれば いいんだよ。

 イエス様が わたしたちのために ご自分の 命を 与えてくださった おかげで、この 地上の 人生が 終わった 後は、わたしたちは イエス様や 愛する 人たちと 永遠に、天国で いっしょに くらせるように なるんだよ。

 君が だれかや、世界の どこに いるかは、関係ないんだ。もし 心の 中に イエス様が いるなら、神様の 愛や 救いを 受け取る ことが できるよ。イエス様には、わたしたち 1人1人に あげられるだけの、ものすごい 量の 愛が あるからね!