神様の 大きな 愛
神様は この 世界を、わたしたちが 住むための すばらしい 場所として 造ってくださったんだよ。神様と 親しくしながら、愛と 幸せに 満ちた くらしが できるようにね。神様は わたしたちを 愛していて、わたしたちに、そばに いてほしいんだ。ご自分が 創造された 男の 人たちや 女の 人たちや 子供たちと、いっしょに いるのが 好きなんだよ。
だけど、わたしたちは 神様の 言いつけを いつも 守るとは 限らない。やさしくない ことを して、「罪」を 犯す ことも あるしね。「罪」とは、聖書に 書かれている 神様の 決まりに 従って くらさない ときに してしまう ことだよ。
聖書には、すべての 人は 罪を 犯すと 書かれている。「すなわち、すべての 人は 罪を 犯したため、神の 栄光を 受けられなく なっており、」(ローマ人への手紙 3:23、口語訳聖書)
神様は 愛で、愛は、神様が わたしたちの くらしに 表された ものなんだ。ほかの 人に 対して 不親切だったり、人を きずつけたり、正しく くらすための 神様の 決まりに 従っていない ときには、わたしたちは、神様や 他の 人たちに 対して、罪を 犯してしまう。わたしたちを 神様から 遠ざけるのは、自分自身の 罪なんだ。
神様は、わたしたちの 1人1人を とっても 愛していて、だれとも はなれたいなんて、思っておられないんだ。それで、わたしたちに ご自分の 愛を 表すために、2000年前、ご自分の たった 1人の 息子だった イエス様を、この 地上に 送られたんだよ。わたしたちが 自分の 罪から 救われ、神様と 近く なれるようにね。
「神は その ひとり子を 賜わったほどに、この 世を 愛してくださった。それは 御子を 信じる 者が ひとりも 滅びないで、永遠の 命を 得るためである。」(ヨハネによる福音書 3:16、口語訳聖書)
イエス様は、いつも 神様に 従って、すべての ことを 愛を こめて された。地上で くらしていた 間、イエス様は わたしたちに、神様が 望んでおられる 愛情深い 生き方の お手本を 示してくださっていたんだ。イエス様は、君や わたしと 同じような 人間だったけど、聖書の ヘブル人への 手紙の 4章15節には、彼が 神の 御子として、わたしたちと 大きく ちがう 点が 書かれている。つまり、イエス様は 1度も 罪を 犯さなかったって ことなんだ。
聖書には、イエス様は 罪は 犯されなかったけど、すべての ことに ついて、わたしたちと 同じように 誘惑に あわれたので、わたしたちの 弱さが 理解できると 書かれているよ。(ヘブル人への手紙 4:15)
神様は、イエス様が 命を ささげて わたしたちの 罪を つぐない、その後 死から よみがえって、また 生きることが できるようにと 計画された。
わたしたちの 罪を つぐなうために 死という 代価を はらい、その後 死に 打ち勝った イエス様は、わたしたちを 罪から 救い、永遠の 命を 下さることが できるようになったんだよ。
イエス様が、わたしたちの 罪を つぐなうために ご自分の 命を 与えてくださった ことや、その後 死から よみがえられた ことについて、福音書で 読んでごらん。(マタイ 26-28章、マルコ 14:43-16:20、ルカ 22:39-24:53、ヨハネ 18-20章)
わたしたちは 時々 罪を 犯すけど、それを つぐなうために ご自分の 命を 与えて 死んでくださった イエス様に 感謝する ことで、わたしたちは 神様の そばに いることが できるんだ。罪を 犯してしまったなら、ゆるしを 求め、今度は もっと よく やれるように 努力すれば いいんだよ。
イエス様が わたしたちのために ご自分の 命を 与えてくださった おかげで、この 地上の 人生が 終わった 後は、わたしたちは イエス様や 愛する 人たちと 永遠に、天国で いっしょに くらせるように なるんだよ。
君が だれかや、世界の どこに いるかは、関係ないんだ。もし 心の 中に イエス様が いるなら、神様の 愛や 救いを 受け取る ことが できるよ。イエス様には、わたしたち 1人1人に あげられるだけの、ものすごい 量の 愛が あるからね!