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聖書の冒険物語:ラビが光を見出す
聖書の冒険物語:ラビが光を見出す
子供のための使徒行伝 第5-9章
「神が彼らを呪われんことを!」 全ユダヤ教の最高議会であるサンヘドリンに、大祭司カヤパがクリスチャン達をののしる声が響き渡った。「我々が恐れていた通りのことが、今まさに起こっている! 彼らの教義はまたたく間にエルサレム中に広がっているではないか! それも、私がしくじったせいか!」
すると、カヤパの義父アンナスが長い白髭をなでながら穏やかに言った。「まあ、落ち着きなさい、息子よ。我々も議会の長老達も誰一人として、あんな異端の新興宗教が広まり続けるだろうなどとは、夢にも思わなかったのだ。ローマ人を説得して、神を冒涜するナザレ人イエスを処刑させたのだから。」
「そのことは承知しております。しかし先週は、彼らの主だった指導者ペテロとヨハネを始末する絶好の機会がありました。二人を逮捕し、議会でも彼らを処刑することで意見が一致していたのです!」
「では、なぜそうしなかったのか?」
「ラビのガマリエル先生が、彼らを釈放するようにと議会を説得してしまったのです。ガマリエル先生は、『もし彼らの企てやしわざが人間から出たものであるなら、自滅するでしょう。だが、もしそれが神から出たものなら、彼らを止めることはできません。まかり間違えば、我々は神を敵に回すことになりかねないのです!』とおっしゃったのです。」*1*
「わしもガマリエル先生は最も優れた律法学者として尊敬しているが、今回は明らかに、間違った助言をお前にしてしまったな。あのような異端者らを野放しにするとは、議会は重大な過ちを犯してしまった。」とアンナスは言った。
「我々は二人をむち打った後、イエスの名によって語り続けるなら、更に重い厳罰に処すると脅してから釈放しました。」と、カヤパが言った。
「だが、それが何の役に立ったのかね? 彼らの人気は日に日に高まり、信者は増えるばかりではないか。おまけに、我々の祭司達までもが、大勢この新興宗教の隠れた信者になっているとのことだ! カヤパよ、我々は今すぐに、何とかしなくてはならない! そうでなければ、エルサレム中が、あの死んだナザレ人を救い主と言うようになってしまうだろう!」
「その通りです。脅しやむち打ちや投獄ぐらいでは全く効き目がありませんでした。我々が本気であることを示さねば。何と言っても、神への冒涜者や偽預言者は石打ちの刑にしなければならないと、モーセが命じているのですから! とは言え、父上。ローマ人は、我々が自ら処刑することを禁じております。」
「もちろん、それは分かっておる。だが、事は深刻だ。今すぐに何か手を打たねば、この新興宗教を止めることは、もうできないかもしれぬ。ただ、我々自身で異端者らを処刑してローマとのいざこざに巻き込まれたりしないためには、直接サンヒドリンとの関係がない者を使わねば。」
カヤパはほくそ笑んで言った。「それは素晴らしい考えです! ちょうど、それにふさわしい者がおりますよ。ラビのサウロです! タルソのサウロは、実に熱心な若きパリサイ人で、ギリシャやアジアから来た、ここエルサレムでも敬虔なユダヤ人達から成るリベルテンの会堂の指導者の一人です。サウロなら、我々の宗派のために何でもするでしょう。」
「私も、サウロのことは聞いたことがある。父親も、献身的なパリサイ人であった。」とアンナスが言った。
彼らは直ちに、神殿の敷地内にある祭司達の集会場にサウロを呼び出した。サウロは喜んで、著名なクリスチャンを捕らえ、他のクリスチャン達も始末するという任務を引き受けた。そうすれば、エルサレムにいる他のクリスチャン達への抑止力となり、彼らの活動を止められるかもしれないことに同意したのだ。
サウロは、会堂に属する者達の中から献身的なユダヤ人達を選び出して一団を結成し、クリスチャン達がたびたび教えを説いている中央市場に向かった。そこに着くと、ステパノという弟子が、民衆に向かって公然とイエスについて語っていた。
彼らはステパノと議論を始めたが、ステパノの霊と知恵に満ちた言葉に対抗することはできなかった。それで、彼らは賄賂を使って偽証人を立て、「我々は、ステパノがモーセと神を冒涜するのを聞いた。」と言わせた。
それを聞いた人々は激怒し、ステパノを捕まえて、議会に引いて行った。
「この男は、我々の聖所とモーセの律法を冒涜してやめません。そして、ナザレのイエスが我々の聖所を打ち壊し、モーセから伝わった慣例を変えてしまうだろうなどと言っております!」と偽証人が言った。
カヤパがステパノに、その訴えの通りかと聞いた。ステパノはそれに対し、力強い答弁をした。アブラハム、イサク、ヤコブからモーセに至るまで、さらには預言者や王達も用いて、神があらゆる時代を通じていかにイスラエルの人々に救い主をむかえる準備をさせてこられたか、詳細を追って説明したのだった。
最後に、ステパノはこう言った。「あなたがたは本当に強情で、いつも聖霊に逆らっている! あなたがたの先祖達と同じです! あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が一人でもいましたか? あなたがたの先祖達は、メシヤが来られることを予告した人達さえ殺してしまったではないですか! そしてあなたがたは、当のメシヤを裏切り、殺してしまいました! あなたがたは律法を受けたのに、守りませんでした!」*2*
このような激しい叱責に耐えかね、ステパノを捕まえて引いてきたサウロの仲間達と議会は、今すぐこの異端者を石打ちの刑にすべきだということになった。
けれども、ステパノは聖霊に満たされて、天を見つめていた。すると、神の栄光が見えた。「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見える!」*3*
これを聞いた議会と群衆らは耳をおおい、ステパノにつかみかかった。そして、ステパノを町の外に引きずり出して、石を投げつけた。
ステパノを殺すことに大賛成していたサウロは群衆の外側に立っていたが、人々は石を投げるために上着を脱ぎ、サウロの足元に置いた。
さて、サンヒドリン議会が驚いたことに、ステパノの死によってクリスチャンの活動は衰えるどころか、今までにないほど、ますます勢いを増し、教えが広がっていったのだった。それに激怒したのは議会だけではなかった。ラビのサウロも、クリスチャンへの憎しみに取りつかれ、信者を撲滅しようとして、暴力的な激しい迫害を始めた。それで、大部分のクリスチャンはエルサレムを出て行った。
ほとんどのクリスチャンを首都エルサレムから追い出しただけでは飽き足らず、サウロは、なおも弟子達に対する脅迫と殺害の息をはずませながら、大祭司のところへ行って、シリアのダマスカスの諸会堂に宛てた正式な文書を求めた。そこで見つけたクリスチャンを全員捕まえてエルサレムに連行する許可を得るためだ。
何年もたってから、サウロはこのような告白を記している。「私はナザレのイエスの名に逆らって、数々のことをしました。祭司長達から権限を与えられて、多くの聖徒達を投獄しました。彼らが処刑される時には、大声で彼らをののしり、非難しました! 至る所の会堂で彼らを罰し、無理矢理に神を汚す言葉を言わせようとし、彼らに対してひどく荒れ狂い、さらには外国の町々にまで、迫害の手を伸ばしたのです。」*4*
ある日、サウロが神殿の護衛達と共に、ダマスカスに向かうほこりっぽい道を馬に乗って向かっていた時、思いもかけない、驚くべきことがサウロの身に降りかかった。町にも近くなったころ、天から太陽よりもまばゆい光が差してきて、サウロ達をめぐり照らしたのだ。サウロは馬から落ち、みんな地に倒れた。すると、こういう声があった。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか?」
サウロは聖書を研究してきたので、神がしばしば、神の言葉を伝える預言者らに超自然的に語りかけられたりすることは知っていたが、まさか、自分にこのようなことが起きるなどとは、夢にも思っていなかっただろう!
驚きと恐怖におののいたサウロは、目もくらむような光とこの声は、一体どういうことなのだろうと思ったにちがいない。もしそれが本当に神の声であるなら、どうして「なぜわたしを迫害するのか?」などと言うのだろうか? 自分は神の敵である者達を迫害するための聖なる任務に就いていることをご存じのはずではないか。あのやっかい者、ナザレのイエスに従う、異端の新興宗教の信者達を迫害しているのだから!
それで、サウロはその声に向かって言った。「主よ、あなたはどなたですか?」
そして返ってきた答えは、この若いパリサイ人の人生を完全に変えてしまった。その声はこう言ったのだ。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
サウロは、頭がくらくらした。「神よ! わが神よ! イエスよ! イエスこそが、主なのだ! イエスこそが、救い主なのだ! 神よ! 私は何てことをしてしまったのでしょう! 主よ、どうか私に憐れみを!」
サウロはふるえながら涙した。そして、再度その声に向かってたずねた。「主よ、私にどうせよとおっしゃるのですか?」
「立って、町に入りなさい。何をすべきかは、そこで告げられる。」と主は言われた。
サウロは起き上がって目を開いたが、何も見えなかった。目が見えなくなっていたのだ。サウロは同行者らに手を引いてもらわなければならなかった。そしてダマスカスに着いた後の3日間も、目が見えなかった。
この、かつておごり高ぶっていたパリサイ人であるラビのサウロは、イエス・キリスト御自身による超自然的な一撃によって、馬からも高飛車な態度からも突き落とされてしまった。あまりにも劇的な出来事に衝撃を受け、サウロは飲み食いもできない状態だった。サウロは床に横たわって色々と考えめぐらし、祈りながら、神からの更なる啓示を待っていた。
3日の後、主はダマスカスにいた弟子の一人、アナニヤに語られた。「立って、タルソのサウロがいる家を訪ねなさい。彼に手を置いて、再び目が見えるようになるよう、祈りなさい!」
アナニヤは言った。「ですが、主よ。あの男が、エルサレムにいるあなたの子供達にどんなにひどいことをしてきたかを、多くの人から聞きました。そして今は、あなたの御名を唱える者は全て捕まえて投獄する権威を祭司長達からもらって来ているのですよ!」
すると、主は言われた。「さあ、彼の元へ行きなさい。彼は、大勢の前で私の名を伝える器として選ばれたのだ!」
そこでアナニヤはためらいながらもそこに行き、ラビが横たわっている部屋へ入ると、こう言ってあいさつした。「兄弟サウロよ。」
サウロはあぜんとした。今までに大勢のクリスチャンに出会ったが、この冷酷な迫害者を「兄弟」などと呼ぶ者は、一人もいなかったからだ。
今までに自分の仲間達を散々苦しめてきた者がこのような哀れな状態にあるのを見て、アナニヤは憐れみを感じながら、こう言った。「サウロよ、あなたがここに来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになり、聖霊で満たされるよう祈るようにと、私をここにお遣わしになったのです!」
アナニヤがサウロの両目に両手をあてがって祈ると、たちどころに目はいやされ、サウロは起き上がって食事をし、元気を取り戻した。
ダマスカスにいた弟子達と数日間をいっしょに過ごした後、サウロは名前をパウロと改め、直ちに会堂へ行って、イエスこそが神の御子であることを宣べ伝え始めたと、聖書には記されている。パウロの言葉を聞いた人々は非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでイエスの名を唱える者達を殺した男じゃないのか? ここにやって来たのも、クリスチャンを投獄するためじゃなかったのか?」
しかし、パウロはますます勢いを増し、イエスこそ救い主であると証しして、ダマスカスに住んでいたユダヤ人達を言い伏せた! こうして、使徒パウロの興奮に満ちた任務が始まったのだった!
脚注:
*1* 使徒行伝 5:28-42参照
*2* 使徒行伝7:51-53参照
*3* 使徒行伝 7:56参照
*4* 使徒行伝 26:9-11参照
文:「宝」からの編集、Copyright © 1987年、絵:松岡陽子・やすし、デザイン:ロイ・エバンス出版:マイ・ワンダー・スタジオ Copyright © 2022年、ファミリーインターナショナル
聖書の冒険物語:詐欺師の救い
聖書の冒険物語:詐欺師の救い
子供のための、ルカによる福音書 第19章1-10節
世間一般の考えに反して、イエスは富を持つことに反対しておられたわけではない。富を持つ人がそれを良い目的に使うなら、なおのことだ。今日、富という主題に関して聖書に書かれていることと言えば、自分の富を貧しい者達と分かち合うようにとイエスにさとされたが、悲しみながら立ち去ってしまった若い役人の話しか思いつかない人が多い*1*が、エリコのある裕福なビジネスマンとイエスの出会いについて、聞いたことはあるだろうか?
エリコの町を行き交う大勢の献身的な人々に比べると、ザアカイは非常に評判の悪い人物だった。大金持ちの取税人と言えば、ユダヤ人にとっては罪人の中の罪人だった。取税人は、貧しい者から搾取し、奪い取ることでよく知られていたからだ。人々が嫌うローマ政府のために働きながら、自分でもピンはねして懐を肥やしていたために、ユダヤ人の裏切り者として見られていたのだった。
そんなある日、ザアカイの人生を変えてしまう出来事が起こった。ザアカイはすでに、イエスのうわさを耳にしていた。イエスが起こしていた多くの奇跡や、それにも増してザアカイの興味を惹きつけたことは、イエスが罪人らの友であるという評判だった。事実、イエス御自身の弟子の1人であるマタイは、取税人だったというではないか。
それでザアカイはずっと、この預言者になった大工に会ってみたいと思っていたのだ。
「あんなに信心深い人が、私のような人間の友になど、なれるのだろうか? この町の人達や祭司らは、私の名前を聞いただけでも、地面につばを吐くくらいなのに? イエスは、私の友になってくれるのだろうか?」 そんなことを、ザアカイは考えていた。
ザアカイには、自分の家族以外に、真の友というものがいなかった。真の満足感を得るためには、富だけではだめだということに気付き始め、満たされない気持ちになっていた。立派な家があり、安定した地位もあるのに、何かが欠けている。それが何だか、ザアカイにはよく分からなかった。
そしてある日、イエスがエリコを通りがかった。イエスが町にいると聞いたザアカイは、そそくさと取税所を閉め、イエスを一目見ようと出かけて行った。イエスを取り囲む群衆が、ゆっくりと道を進んでいた。ところが、あわれなザアカイは背が低過ぎて、何も見えない。群衆の行く手に大きなイチジク桑の木があるのを見つけると、周りの人達にどう思われようがお構いなしに、急いで先に行って、イエスを見るために木によじ登った。
イエスはイチジク桑の木の下に来ると、立ち止まり、振り向いて、上を見上げられた。
「ザアカイよ! 下りて来なさい。今晩は、あなたの家に泊まることにしているから!」と、イエスが言われた。
ザアカイは、びっくり仰天した! どうしてイエスが自分の名前を知っているのだろうか? そればかりか、自分の家に泊まりたいだなんて! ザアカイはすぐさま木から下りてきたが、何かの間違いではないかと、信じられない気持ちだった。イエスが本気でそう言っておられることが分かると、ザアカイは大喜びで、イエスを自分の家に案内した。
家に着くと、後をついて来ていた群衆は家の外で憤慨していた。「一体、どういうことなんだ? 罪人の客になるなんて! イエスともあろう方が、宗教訓練の中心地である我々の立派な町に来られたのに、こんなろくでなしの家に泊まることにされたなんて?」
ところが、イエスはザアカイの心を見ておられた。ザアカイは、愛と理解と受け入れてもらえることに飢えていたのだった。
ザアカイは、宣言して言った。「主よ、私は自分の全財産の半分を、貧しい人達に施す決心をしました。そして、自分の地位を利用してだまし取ったりした人達には、それを4倍にして返すことをお約束します。」
今まで利己的で贅沢な暮らしをしていた人が、イエスと出会い、イエスの語られる言葉を聞いて、劇的な変貌を遂げた。イエスとたった1度会っただけで、ザアカイは、富とは、他の人達と分け合わなければ無意味なものだということを知ったのだ。生まれて初めて、ザアカイは、愛や与えることの意味が分かったように感じたのだった。
イエスは、外でぶつぶつ言っている人達に聞こえるように、大声で言った。「今日、この家に救いが来た。人の子が来たのは、失われたものを探し出して救うためである!」
ザアカイが以前どれほど悪かったかは、関係なかった。神の愛は、ザアカイをゆるすに余りあるものだった。この出来事から、ザアカイの新しい人生が始まった。もはや、ザアカイは周りの人々や世界に無関心ではなくなり、自分の利益を得るための機会として人々を利用するのではなく、自分の富を貧しい者達のために役立てるようになった。ザアカイは、与えることで満足感が得られることを発見したのだった。ザアカイは、イエスのこの言葉が真実であることを知った。「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう!」*2*
脚注:
*1* ルカによる福音書 18:18-25参照
*2* ルカによる福音書 6:38
文:「宝」からの編集、Copyright © 1987年、絵:松岡陽子・やすし、デザイン:ロイ・エバンス出版:マイ・ワンダー・スタジオ Copyright © 2022年、ファミリーインターナショナル
聖書の冒険物語:ある軍人の大きな信仰
聖書の冒険物語:ある軍人の大きな信仰
子供のための、ルカによる福音書 第7章1-10節と マタイによる福音書 第8章5-13節
イスラエルのカペナウムという町に、ローマ軍の100人隊長が住んでいた。イエスがそこで御仕事を始められてからというもの、このガリラヤ人が人々を煽ってローマに対する反乱を起こさせるような言動がないように見張るのが、彼とその部隊の任務だった。
イエスが教えを説くのを聞くうちに、この100人隊長はイエスを尊敬するようになった。というのは、イエスが宣べ伝えておられた御国とは、ローマに対する脅威になるものではなく、イエスの愛についての教えが、大いなる権勢を誇るローマ帝国にとって、むしろ益となることに気付いたからだった。
ある日のこと、この100人隊長の頼りにしていたしもべが、体が麻痺するという重い病気にかかり、隊長はすぐさま、イエスが様々な病人をいやしておられたことを思い出した。
(イエスは、私のしもべをいやすこともおできになるのだろうか?)
とは言え、ほとんどのユダヤ人がカエサルの率いるローマ軍を軽蔑している時代に、ローマ人がユダヤ人に助けを求めることなど、できるだろうか? あわれみ深いと言われているユダヤ人のイエスは、ユダヤ人と対立している人間に対して、助けの手を差し伸べて下さるのだろうか?
そこで隊長は考えた。「そうだ、ユダヤ人の長老達に頼もう。私と付き合いのある尊敬されている長老達に頼んで、イエスに口を利いてもらおう。」
この隊長がユダヤ人に示していた好意に恩義を感じていた長老達は、しもべをいやして欲しいという隊長の願いをイエスに伝えた。
「この方は、あなたに助けていただく価値のある人です。私達ユダヤ人を愛し、会堂まで建てて下さったのです。」と、長老達は言った。
そこでイエスが出かけて行くと、隊長の家からそれほど遠くない所で、隊長は、数々の奇跡を行ったイエスの力に対する尊敬の念を表すメッセージを伝えてきた。
「主よ、どうか、わざわざご足労なさいませんように。私には、あなたを屋根の下にお迎えするような資格はございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば、私のしもべはいやされます。私の権威の下には兵士がおり、私が『行け』と言えば行き、『来い』と言えば来てくれます。また、しもべに『これをしてくれ』と言えば、そうしてくれるのですから。」
これを聞くとイエスは驚いて、ついて来ていた人達に言った。「これほどの大きな信仰は、イスラエル中でも見たことがない。」
イエスは隊長の信仰に感心して言った。「行きなさい! あなたの信仰の通りになるように。」
聖書には、イエスがこの隊長の大きな信仰をほめたちょうどその時に、しもべがいやされたと書かれている。
家に帰ると、自分のしもべが完全にいやされて大喜びしていたので、隊長はきっと、ナザレのイエスを通して奇跡を起こして下さった神に感謝するようにと言ったことだろう!
神が言われたことは成されると信じる者達には、今日でもこのような奇跡が起こる。神を信じる者達の間では、昔と変わらず神は力強く働いて下さるのだ。神は、こう言っておられる。「わたしは主であり、決して変わることがない。」*1* 「イエス・キリストは、昨日も、今日も、いつまでも変わることがない。」*2* 「信じる者には、どんな事でもできる!」*3*
脚注:
*1* マラキ書 3:6参照
*2* へブル人への手紙 13:8
*3* マルコによる福音書 9:23
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聖書の冒険物語:ペテロの変貌
聖書の冒険物語:ペテロの変貌
子供のための、マタイによる福音書 第26章とルカによる福音書 第22章と使徒行伝 第2章
聖書の中で最も傑出した人物の一人に、今日使徒ペテロとして知られている、バルヨナ・シモンがいる。彼は無骨な漁師で、いつもエネルギーにあふれた行動派だった。
キリストの個人的な指導と教えのもとにいた数年間、ペテロは、自分のやり方を強引に推し進めることがたびたびあった。ペテロは、12使徒の中でも飛び抜けて率直にものを言い、思ったことは何でも口にする人だったが、自信はしばしば彼の妨げとなり、失敗や間違いの原因になった。
けれども、ペテロは丸3年間イエスに従った後に、劇的な変貌を遂げた。これから話すのは、彼の遂げたその変貌についての物語だ。イエスの地上での使命が終わりに近づいた時のことから話を始めよう。イエスは、弟子達といっしょに最後の晩餐をしていた。イエスが逮捕されて十字架刑に至る、わずか数時間前のことだ。
イエスは、まもなく御自分がこの世の人々の罪のために十字架にかけられて死ぬことを知っておられたので、弟子達を見回して、こう言われた。「今夜、あなたがたは皆、わたしにつまずき、わたしを残して去るであろう。『わたしは羊飼いを打つ。そして羊の群れは散らされるであろう。』と書いてあるからである。」*1*
これを聞いたペテロは、自分の信仰と力を買いかぶり、大胆にも、こう断言した。「たとえみんながあなたを見捨てても、私は決してあなたを見捨てません!」
するとイエスは、穏やかにこう答えられた。「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは3度、わたしを知らないと言うだろう。」*2*
ペテロは言い張った。「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたといっしょに行く覚悟です!」*3*
それにもかかわらず、まさにその夜、イエスが弟子達といっしょにゲッセマネの園にいた時、祭司長や長老達がつかわした兵士の一団が剣やこん棒やたいまつを手にやって来てイエスを捕まえると、弟子達はおびえるばかりで、一人残らず逃げ去ってしまった。
イエスが大祭司の屋敷に連れて行かれると、ペテロは勇気を振り絞って、遠くからイエスについて行き、屋敷に着くと、離れた所から裁判の成り行きを見ようと、扉のそばに立っていた。すると屋敷の女中が、そわそわして落ち着きのない様子の人がいるのに気付き、疑い深い様子で、「あなたも、あの仲間の一人じゃないの?」と言った。
驚いたペテロは、「いや、違う!」と言って、夜警達が火を焚いて暖まっている所に移動した。
すると他の女性が、そばに立っている人達に、「この人もナザレのイエスといっしょだったわ。あの人達の仲間よ。」と言った。
けれどもペテロは、彼らの前で「私はその人を知らない!」と怒鳴った。
突然、イエスが捕らえられた時にそこにいた男がペテロを指さし、大声で「ゲッセマネの園でイエスといっしょにいたんじゃないか?」と問いただすと、群衆の中に立っていた他の人達も、「確かにあなたは彼らの仲間だ! そのなまりで、ガリラヤ人だとわかる!」などと言い始めた。ペテロは、「何のことを言っているのか分からない。あなたの話しているその人のことは何も知らない。」と言い張り、口汚くののしり始めた。*4*
すると、ペテロがまだ言い終わらないうちに、鶏が鳴いた。イエスは、御自分を捕らえた者によって屋敷の中の他の場所に連れて行かれるところだったが、振り返って、まっすぐペテロを見つめた。するとペテロはすぐに、「鶏が鳴く前に、3度わたしを知らない、と言うであろう。」と言ったイエスの言葉を思い出した。
自分のしたことに気付いたペテロは、よろめきながら戸口に向かうと、その後夜の暗闇の中へまっしぐらに駆けて行った。人気のないエルサレムの壁の下まで来ると、ペテロは地面に伏して、激しく泣いた。*5*
けれども、この話は敗北で終わってはいない。イエスは裁判にかけられ、十字架刑にされたが、わずか3日後に、奇跡的に死からよみがえったのだ! その間、弟子達は小さな部屋に集まって隠れていたが、弟子達の隠れ場所を知っておられたイエスは、彼らの前に姿を現した。それから40日間に渡って、イエスはたびたび弟子達の間に姿を現し、いっしょに歩き回ったり、彼らを励ましたりされた。また、御自分が去った後の弟子達の使命についても説明された。40日たって昇天する直前に、イエスは弟子達にエルサレムに戻るようにと命じられ、「上から力を授けられるまでは、わたしの父の約束を待っているがよい。聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは力を受けて、わたしの証人となるであろう。」と言われた。*6*
使徒達はエルサレムに戻り、他の120人以上の弟子達、さらに彼らの妻や子供達といっしょに、屋上の間に集まった。そして、イエスの昇天前の最後の命令に従って、祈りながら待っていた。
10日後に、激しい風が吹くような音がして、一同が座っていた家いっぱいに響き渡った。また舌のようなものが炎のように分かれて現れ、一人一人の頭の上にとどまった。すると一同は聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出したのだ。*7*
これこそ、弟子達が待っていたものだった。主イエスが去られた後も主の仕事を続けていくのを可能にするための、主からの超自然的な力だ。神の聖霊の力によって、心も人生もすっかり変わったペテロは、新約聖書に記されている驚異的な証しの冒険へと、弟子達を導くことになったのだった。
当時、エルサレムには、ユダヤ人恒例の収穫祭を祝うために、国外から大勢の人々が来ていた。ペテロが、今やあふれるまでに聖霊に満たされた120人の弟子達と共に路上に出ると、彼らは全員、その日エルサレムを訪問していた各国の人々の言語で超自然的に語り始めた。弟子達の誰も、それらの言語を前から知っていたわけではなかったのにだ。弟子達は群衆に、イエスの内にある神の愛の素晴らしい知らせと救いのメッセージについて、証ししたのだった。
それから、ペテロはそばにある建物の階段に上がって手を挙げ、群衆に向かって大声で呼びかけて静まらせた。彼が並々ならぬ権威をもって話したので、その結果、3千人という驚くほど大勢の人々が救われたばかりか、その日に弟子として全時間主に仕える決心をしたのだ。
ペテロは変わった。イエスが逮捕された後、とても臆病になって、3度もイエスを知らないと否定するほどだったそのペテロが、今やイエスが十字架にかけられたまさにその同じ町で、何千人もの人々の前に立って、大胆に、神のメッセージを宣言していた。何がこの変貌をもたらしたのか? それは、聖霊の力だった。主が約束されたように、聖霊が下った時、弟子達は力を受けたのだ。
ペテロは、イエスを拒んだ時に厳しい試練を経験したが、もはやそんなことを悔やんでいる暇はない。証しをして人々を神の王国に勝ち取るという仕事が爆発的に進行しており、主は、ペテロが夢にも思わなかったような方法で彼を使っておられた。以前彼はとても衝動的で、いつも場違いなことを言っているようだったが、今は、主が祈られたように、兄弟を力づけていたのだから。*8*
主がとても多くの奇跡を行っておられるのを目の当たりにして、弟子達はみんな、大喜びだった。主が最も絶望的な状況にあった時に、彼らは皆主を見捨ててしまったものの、イエスがなお自分達を愛して下さっていることを知って、今では、イエスが彼らと共に歩まれた時以上に強い信仰を持つようになった。
イエスが去ってしまわれたという感覚はもはやないだけでなく、かつて以上にイエスと近くなったようにさえ思われた。彼らは、主が以前自分達に語られた言葉を思い出した。「わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主は来ないであろう。それは、聖霊である。今聖霊はあなたがたと共にいるが、その時になれば、あなたがたの内にいるであろう。わたしを信じる者はまた、わたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである!」*9*
3千人以上の新しい人達が救われてから間もないある日のこと、ペテロとヨハネは、生まれつき足が不自由だった人を群衆の目の前で即座にいやし、見ていた人達をびっくり仰天させた。そこでペテロが、奇跡を見に来た数え切れないほどの人々に向かって語ると、更に5千人が弟子として加わった。それで弟子の数は8千人にまで増えたが、それには女性と子供の数は含まれていない。これこそが、イエスが語っておられた、「もっと大きなわざ」だった。どうしてそんなことができたのだろうか? それは、イエスが共におられただけではなく、聖霊を通して、彼らに力と教えと知恵を授けておられたからだ。
その後、ペテロとヨハネは、救い主を十字架にかけた邪悪な宗教指導者達によって起こされた迫害に直面した。けれどもこの時は、恐れたり怖気づいたりすることもなく、主を否定することもなかった。ペテロは議会の前に立ち、勇気と御霊の権威にあふれた証しをした。聖書にはこう記されている。「人々は、ペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に二人が無学な、ただの人達であることを知って驚嘆した。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認めた。」*10*
どうして人々は驚嘆したのだろうか? それは、イエスが地上で持っておられたのと同じ力を弟子達が持っているのを、目の当たりにしたからだった。
脚注:
*1* マタイによる福音書 26:31とゼカリヤ書 13:7
*2* マタイによる福音書 26:31-35
*3* ルカによる福音書 22:33
*4* マルコによる福音書 14:70,71
*5* ルカによる福音書 22:59-62
*6* ルカによる福音書 24:49と使徒行伝 1:8
*7* 使徒行伝 2:2-4
*8* ルカによる福音書 22:32
*9* ヨハネによる福音書 14:12, 16, 17; 16:7
*10* 使徒行伝 4:13
文:「宝」からの編集、Copyright © 1987年、絵:松岡陽子・やすし、デザイン:ロイ・エバンス出版:マイ・ワンダー・スタジオ Copyright © 2022年、ファミリーインターナショナル
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聖書の冒険物語:王となる者の偉業
子供のためのサムエル記上第29-30章
ダビデ王に関するこの前の物語「巨人に挑む」と「敵に打ち勝つ」も、読んでね。
ダビデがサウル王に命をねらわれて亡命していたころ、ダビデとその従者達は、イスラエルの敵であるペリシテ人の王アキシの国に住むことを余儀なくされた。アキシ王は、サウル王がダビデに敵対していることを知っていたので、ダビデに小さな町チクラグを与えた。住むための場所を与えてくれたお返しに、ダビデはアキシ王に忠誠を誓った。遂に、ダビデと従者達は、あちこちを放浪した末、仮の住まいを見つけたのだった。
そのころ、ペリシテ人とイスラエルの間に新たな戦が始まった。アキシ王は、ダビデの部隊も含めて、戦える者を全て結集してイスラエルとの戦いに参戦することを期待されていた。このことは、ダビデとその従者達に困難な立場を強いることになった。ダビデは、自分自身の同胞や親族達と戦うことなどできるのだろうか?
さて、いよいよイスラエルに攻撃をしかけようと全軍が結集した。ペリシテ軍の指揮官達が何百人も何千人も兵士達を率いて進軍し、ダビデとその従者達も、アキシ王と共にしんがりを務めていた。すると・・・
「このヘブル人の兵士達は、我々の間で一体何をしているのだ?」 ペリシテ軍の中にイスラエル人600人がいることに気付いたペリシテの君主達の1人が、アキシ王を問い詰めた。
「ダビデとその従者達はずっと私に忠実で、何の落ち度もない。」と、アキシ王は答えた。
すると、他の指揮官が言った。「やつを我々と一緒に戦わせてはならない。戦いの真っ最中に寝返るかもしれないではないか。それ以上に、サウル王の好意を取り戻す良い方法はないのだから。ダビデとは、女達が『サウル王は千を打ち倒し、ダビデは万を打ち倒した!』と歌った、あのダビデじゃないのか?」
それで、遂にアキシ王は折れた。
アキシ王はダビデをわきに呼んで言った。「あなたが神の使いのように真っすぐな人間であることは分かっている。だから、私と共に戦ってくれるのはうれしいが、ペリシテ軍の君主達は、あなた方が一緒に戦うのを嫌がっているのだ。だから、家に帰って欲しい。」
ということで、ダビデとその従者達は、同胞達と戦わないで済んだことを内心感謝しながら、静かに撤退した。ところが、チクラグに戻ってみると、恐ろしいことに、町が完全に焼き払われていたのだ! 男達の留守中にアマレク人達が来て町を荒らし回り、ダビデとその従者達の所有物をことごとく奪い、女子供も連れ去ったのだった。
「そもそも我々は、ここを出るべきではなかったのだ。アキシ王に忠誠を誓う価値などないじゃないか。」と、ある者がつぶやいた。
「我々がここにいたら、こんなことにはならなかったのに。」と、他の1人も言った。
「これは、ダビデの責任だ。」 最も腹を立てていた男達が言った。ダビデを石打ちにしようと言う者さえいた。
自分自身の2人の妻が連れ去られた悲しみとも闘いながら、男達の苦悩と反乱の声を聞いて、ダビデは神に導きを願い求めた。
「この襲撃隊を追跡するべきでしょうか?」
神の答えはこうだった。「追跡せよ。あなたがたは必ず追いつき、全てを取り返すことができるだろう。」
ダビデは部下達を奮い立たせ、アマレク人を追った。あまりにも激しい勢いで追ったため、ベソル川に着いた時には200人が疲れ果てて、それ以上進めなくなった。そこで彼らは荷物と共にとどまり、残りの400人は彼らを後に残して、先へ急いだ。
すると途中に、エジプト人の若者が野原で倒れていた。病んだ上に空腹で飢えていたのだ。ダビデの部下達がいちじくと干しぶどうを食べさせると、若者はすぐに元気を取り戻し、話ができるようになった。若者は、あるアマレク人の召使で、アマレク人達がチクラグを略奪した後、病気になったため、主人に置きざりにされたということだった。
若者を殺さず、主人に引き渡さないとの約束と引き換えに、若者はダビデに、アマレク人達が行った先を案内した。ダビデの400人の部隊はすぐに追跡を続けた。
その日の夕方、彼らが敵に追い付くと、アマレク人達はそこら中に広がって、ペリシテ人やユダの地から奪い取った数多くの戦利品を祝いながら、食べたり飲んだり踊ったりして、お祭り騒ぎだった。酔っ払った兵士達の真ん中には、足かせをはめられ、しばり付けられた、ダビデとその従者達の妻子達がいた。
ダビデが攻撃命令を下すと、400人の兵士達は自分達の妻子らを救い出すために突撃した。一隊は未明から夕方になるまで戦い続け、大いなる勝利を勝ち取った。そして、家畜を含め、奪われたもの全てを取り返した。妻達は夫達と、子供達は父親達と再会した。ダビデとその従者達は、アマレク人達の物も奪った。
ところが、みんなが大喜びしている中、ある論争が起こった。ダビデと共に戦った者達の中で、利己的でよこしまな者達が、荷物のかたわらにとどまった者達には、アマレク人達から奪った戦利品の分け前をもらう権利はないと言ったからだ。ダビデはそれに反対して言った。
「神が与えて下さった物を、そのようにすることはできない。神が私達を守り、敵に勝利させて下さったおかげで、これらの戦利品が手に入ったのだ。だから、荷物のかたわらにとどまった者達も、戦いに出て行った者達も、戦利品を平等に分け合うべきではないか。」
このすごい聖書の登場人物について、もっと読んでみよう。「聖書の偉人:ダビデ」を見てね。
文:Good Thotsからの編集、Copyright © 1987年 デザイン:ロイ・エバンス出版:マイ・ワンダー・スタジオ Copyright © 2022年、ファミリーインターナショナル