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神様の愛の素晴らしさ

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神様の愛の素晴らしさ

 クリスマスに、飼い葉桶や、天使や、イエスが地上に来られたあの夜のことを考えるのは、素晴らしいものです。けれども、そういったことは、大きな全体像のほんの一部に過ぎません。イエス様は、天使から声援を受けるためだけに地上に降りて来られたのではありません。

 単に、人生を生きるためだけに来られたのでもありません。さらには、この地上に生まれて、その生涯を生き、私達の罪のために死に、死からよみがえるためだけに来られたのでもないのです。このすべてはとてつもなく重要な事柄ですが、無限に続く永遠の中では、単なる出発点に過ぎません。

 イエス様が地上で短い年月を生きられて以来、イエス様は、ご自分にもっと近づこうとするすべての人と共におられます。イエス様は私達の心の叫びに答えるために、来る日も来る日も、一人また一人と、その人生に働きかけておられるのです。私達がしくじり、つまずき、道からそれて厄介ごとにはまってしまった時でも、神様の忍耐は決して、すり切れることがありません。神様はいつも、私達の嘆願に答えようとしておられ、優しく、そして確実に、私達を行くべき道まで連れ戻して下さいます。

 イエス様は、ずっと、いつまでも、そうしていて下さるのです。

 神様の子供である私達は、天国の喜びと驚異を待ち望むことができ、苦しい時には聖霊になぐさめてもらうことができます。私達には、主の無条件の愛と、すべての生命の源とのつながりがあります。

 そんなにも小さな始まりから生まれた結果の大きさもまた、クリスマスの素晴らしさの一部です。小さな国の、小さな町で、小さな飼い葉桶の中にいる小さな赤ん坊から始まったものが、計り知れない時の流れの中で、数えきれない人々への、莫大で、終わりのない贈り物となったのです。

 それが、神様の愛の素晴らしさです。

考えてみよう: 限界はない

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考えてみよう:限界はない

聖書には、こう書かれているよ:

 主はもろもろの星の数を定め、すべてそれに名を与えられる。われらの主は大いなる神、力も豊かであって、その知恵ははかりがたい。(口語訳聖書、詩篇 147:4-5)

考えてみよう:

 1つ1つの星雲には平均1,000億個もの星があり、宇宙で観測できる星雲は100億もあると言われている。*1* もしその数が正確だとしたら、観測できる星は10億兆個ほどもあるということだ。神様が、その1つ1つの星を定め、それぞれに名前を付けるところを想像してごらん。

 神様がそんなふうに星の1つ1つを知っておられるとしたら、君のことはどんなにか、よく知っておられることだろう。1つ1つの星に名前を付けるくらいなら、君のことは、どんなに気にかけて下さっているか、考えてごらん。君は神様にとって、すごく大切だってことだ。君のかみの毛の数までご存じなほど、君は大切なんだよ。*2*

 だから、自分が忘れられて一人ぼっちに感じる時は、君がどんなに神様の注目を引いているか、思い出してごらん。神様の君への愛と理解には、限界がないんだ。

脚注

*1* UCSB ScienceLineより

*2* マタイによる福音書 10:29-31

考えてみよう: 心配事はイエス様に任せよう

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考えてみよう:心配事はイエス様に任せよう

聖書には、こう書かれているよ:

 思いわずらいは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。(新共同訳聖書、ペトロの手紙一 5:7)

考えてみよう:

 日常生活の出来事や君がやることで、時々、心配したり、こわくなったり、緊張したりするのは、普通のことだよね。例えば、学校の宿題や課題があって、できるかどうか自信がないとしよう。それで胃が痛くなったり、落ち着かなかったり、夜眠れない時があったら、思いわずらいや心配事を、イエス様に任せよう。

 気がかりなことがある時にはいつでも、祈ったらいいんだ。お父さんやお母さんに、いっしょに祈ってもらってもいいしね。全く同じ課題で不安に感じている友達がいたら、いっしょに祈って、困難に向き合うための自信や勇気を持てるように、イエス様にお願いしよう。イエス様は君達を愛していて、気にかけておられ、どんな重荷でも軽くしたいと願っておられるんだ。君は、独りじゃないからね。

主は来られた

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主は来られた

 イエス様が生まれた正確な日は、分かっていません。春だと言う学者もいれば、秋だったと言う学者もいます。イエス様が生まれた本当の日を知っている人は、だれもいないのです。

 人々がイエス様の誕生を12月25日に祝うようになったのは、西暦350年ごろです。それでも、クリスマスがイエス様の誕生日としてクリスチャンの間で広く祝われるようになったのは、それから数百年後でした。

 ローマ帝国内の至る所にいる人々が改宗するにつれ、その伝統の多くがクリスマスのお祝いに取り入れられました。

 クリスマスの歴史や、いろいろな祝い方がどこから来たのかについて読んでいると、全く別の感情がわいてきました。それは私にとって、イエス様についての一番基本的な真理です。つまり、イエス様はあなたのいる所に来られる、ということです。

 イエス様は、いろいろな文化や背景があることを知っておられます。それで、人々がなれ親しんでいることを捨て去るように求める代わりに、この世界の一部になられたのです。イエス様は、ただあなたの人生の一部になりたいのです。だから、あなたに手を差し伸べるために必要なことは何でもされるでしょう。

 イエス様は、あなたがいる状況で、あなたを受け入れられます。イエス様のところに行くためにはたくさんの勉強をしなければならないとか、受け入れてもらうためには変わらなければならないとか、完璧にならなければならないとかいったことはないのです。あなたはただ、イエス様の愛を受け入れるだけでいいのです。残りのことは、主がしてくださいます。あなたの必要を満たし、あなたが主を愛し理解するのを簡単にしてくださいます。

 イエス様の生涯について読むと、興味深いことに、出会う人それぞれの必要にご自分を合わせておられるのが分かります。知性ある聖職者であるニコデモと会った時は、彼の好奇心をそそり、その知性をかき立てる話し方をされました。*1* 子どもたちといっしょにいる時は、彼らをだき寄せて話しました。*2* 取税人や罪人といっしょにいる時は、彼らの家に行って飲み食いし、共に笑いました。*3* 群衆を教えた後は、人々の一番の関心事はお腹が空いていることだと分かっていたので、食べ物を与えられたことも2回ほどありました。*4*

 群衆相手でも一対一でも、イエス様は一人一人に手を差し伸べ、彼らを愛していることを示すために必要なことは、何でもされたのです。

 イエス様はそのようにして生き、また死なれました。そして、それこそが、地上に来られた理由でした。つまり、私たちのようになるためです。人間として日々の暮らしに向き合い、お腹をすかせたり、つかれを感じたりしました。がっかりしたこともあるでしょう。けれども主は、私たちが感じることを感じ、わたしたちが大切だと思っていることを理解できるように、人間の生活を経験されたのです。

 クリスマスの伝統的な祝い方など、あなたが知っていて大好きなこと、あなたにとって大切なことを、主はあるがままに受け入れてくださいます。そして、それをさらに意味の深いものにさえしてくださいます。

 ですから、クリスマスのお祝いを楽しみ、プレゼントを開け、クリスマスキャロルを歌い、おいしい食事をする時には、あなたへのイエス様の深い愛を思い出しましょう。あなたの好きなクリスマスのお祝いの一つ一つを取るたびに、地上にやって来てわたしたち一人一人のために生き、また死んでくださったという、イエス様のすばらしいおくり物を思い出しましょう。

脚注:

*1* ヨハネによる福音書 3:1-21

*2* マルコによる福音書 10:13-16

*3* マタイによる福音書 9:10

*4* マタイによる福音書 14:13-21; マルコによる福音書 6:30-44; ルカによる福音書 9:10-17; ヨハネによる福音書 6:1-15

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