神様の愛の素晴らしさ
クリスマスに、飼い葉桶や、天使や、イエスが地上に来られたあの夜のことを考えるのは、素晴らしいものです。けれども、そういったことは、大きな全体像のほんの一部に過ぎません。イエス様は、天使から声援を受けるためだけに地上に降りて来られたのではありません。
単に、人生を生きるためだけに来られたのでもありません。さらには、この地上に生まれて、その生涯を生き、私達の罪のために死に、死からよみがえるためだけに来られたのでもないのです。このすべてはとてつもなく重要な事柄ですが、無限に続く永遠の中では、単なる出発点に過ぎません。
イエス様が地上で短い年月を生きられて以来、イエス様は、ご自分にもっと近づこうとするすべての人と共におられます。イエス様は私達の心の叫びに答えるために、来る日も来る日も、一人また一人と、その人生に働きかけておられるのです。私達がしくじり、つまずき、道からそれて厄介ごとにはまってしまった時でも、神様の忍耐は決して、すり切れることがありません。神様はいつも、私達の嘆願に答えようとしておられ、優しく、そして確実に、私達を行くべき道まで連れ戻して下さいます。
イエス様は、ずっと、いつまでも、そうしていて下さるのです。
神様の子供である私達は、天国の喜びと驚異を待ち望むことができ、苦しい時には聖霊になぐさめてもらうことができます。私達には、主の無条件の愛と、すべての生命の源とのつながりがあります。
そんなにも小さな始まりから生まれた結果の大きさもまた、クリスマスの素晴らしさの一部です。小さな国の、小さな町で、小さな飼い葉桶の中にいる小さな赤ん坊から始まったものが、計り知れない時の流れの中で、数えきれない人々への、莫大で、終わりのない贈り物となったのです。
それが、神様の愛の素晴らしさです。