レベル2 誠実さ アーカイブ

昔風のクリスマス

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昔風のクリスマス

 「ヘレン! ヘレン!」

 ヘレンとは、私のことだ。母が私を呼んでいる。母の声を聞いて、私はベッドから飛び起きた。寝坊してしまったのだ。牛の乳しぼりやめんどりのエサやりなどの雑用は、気分が乗っていようがいまいが、やらねばならない。

 私は頭を振ると、あっという間に昇ってきた太陽をいぶかしげに見た。顔を洗いながら、頭の中はまるで加算器のようにカチカチ音を立てて回りながら、弟や妹達が目を覚ます前に、すべての雑用を終わらせられるか計算していた。

 何とかうまくいきそうだ。母はいつも、私には管理能力があると言ってくれる。私はそれを誇りに思っていた。

 「食事ができたわよ!」と呼ぶ母の声で、私は乳しぼり用の椅子から立ち上がり、指の筋肉をほぐした。椅子を片付けると、牛乳の入ったバケツを持って、家畜小屋を出た。

 私達の家は、ロアノーク川が見える5エーカーの土地に建っており、晴れた日には、ブルーリッジ山脈まで見渡すことができる。夏には、松の木や草がいい香りを放つ。私は深く息を吸って、朝の空気を味わいながら、がんじょうに建てられた私達の家に向かった。今は、朝食のことしか頭にない。

 朝食の席に着き、父が私に「誕生日おめでとう」と言うと、残りの全員が一斉に「おめでとう」と言ってくれた。食べ応えのある朝食で、みんな満腹した。父は、母が毎日「魚とパン」の奇跡をしていると言う。そうでもなければ、どうしてこんなに少ない食べ物がこれほどもおいしく、かつみんなに十分行き渡るのか、理解できないと言うのだ。

 私の手がすっと動き、私のお皿に真っすぐ伸びてきた小さな手をすかさずつかまえた。弟のトロイだ。つかまると、ものすごく後ろめたそうな顔をした。が、目がキラリと光った。他の子供達が一斉にクスクス笑ったので、トロイに気を取られている間にヘクターが私のお皿から何かをさっとくすねたと分かった。

 「さぁさぁ、落ち着いて。」 父がそう言うと、7人全員が静かになった。ヘクターはウインクして、私のパンを返した。

* * *

 「誕生日おめでとう、ヘレン。」 母が済まなそうな声で言った。

 誕生日ではあっても、プレゼントなど特別な物は何も両親に期待していなかった。

 私は母をだきしめて言った。「プレゼントのことなんか、気にしないでね。私はもう、プレゼントをもらうほど子供じゃないんだもの。」 私は思いっきり大きな笑顔を見せた。別に、嘘ではない。12歳になれば、プレゼントはもう必要ないと、私は自分に言い聞かせていた。私達のように貧しい家庭なら、なおさらだ。

 「まるであごが四角くなりそうよ。」 母がそう言って、からかった。私が何か思い込むと、顔の形が変わるという冗談だ。

 その日、私は用事で町に出た。母は、私が町に行くのを楽しみにしていることを知っていたし、家での日課の雑用から離れるいい機会だと思って私に頼んだのだろう。

 町に着くまでの5キロほどの道中、私には少しばかり考えることがあった。

 私達みたいにせっせと働く一家がこんなに貧しいなんて。全く不公平ではないか? 12歳になった時ヘクターがプレゼントらしい物をもらえるように、私にできることが何かあるはずだ。何か方法があるにちがいない・・・。

 私達のつぎはぎだらけの服や、修繕が必要な家の屋根や、すり減ったトロイとヘクターの靴底なんかのことが思い浮かぶ。私も、是非欲しいと思っている詩の本がある。

 町に着き、母に頼まれた物を買った後は、地元の出来事について情報を仕入れようと、少し歩き回った。カーニー鍛冶屋に寄った際には、最近イギリスから移住してきた人達が、先週出来上がったばかりのお屋敷に入ったことを耳にした。ただじっと静かに立っているだけで入って来る情報にはびっくりさせられる。

 「未亡人のホイットフィールドさんが、弟さんといっしょに引っ越して来たらしいよ。」と、カーニーさんは言った。

 その邸宅を見たことはなかった。母が夕食の準備をするのを手伝う前に少し空いた時間があるので、私は新築の立派なお屋敷を見に行くことにした。

 少なくとも5分ほどは、ぼうぜんとながめていたであろうか。その邸宅は、立派どころではなかった! 豪邸なのだ! 正門の両側の柱は、優雅な白い大理石でできていた。そして、イギリスから持ち込んだに違いないバラの茂みが、家の周りに張り巡らされた柵をおおっていた。1階と2階の窓は幅広く高いアーチ形で、壁は暖色の赤いレンガ造りだった。

 少しずつ門のそばに引き寄せられていたことに、自分でも気が付かなかった。馬車がすぐそばで止まったので、私ははっと我に返り、驚いて思わず身を後ろに引いた。立派な馬車からは、黒ずくめの か弱そうな婦人が降りてきた。

 彼女は私に気が付くと、まるで、今までに近くで子供を見たことがないかのように、額に少ししわを寄せた。

 「まぁ。何かご用かしら?」と彼女は言った。

 50代だろうか。彼女は悲しそうな茶色い目をしていた。英国なまりのやわらかい口調だった。私は、彼女と馬車と豪邸を見て、平常心を失う前に、興奮して言った。「奥様。お宅を拝見していました。・・・こんなに大きなお屋敷をピカピカ状態に維持するには、お手伝いが必要でしょうね。私なら、何でもお掃除できますよ。料理のお手伝いもできるし、使い走りもできます。庭仕事も多少できます。鶏の世話もできますし・・・もし鶏など飼っていればの話ですが。何でもお手伝いできますよ。」

 そう言うと、私は深く息を吸った。最後まで言う前にさえぎられるのがこわくて、一気に話したからだ。

 彼女は私を頭のてっぺんからつま先まで見て、くちびるを結んだ。おこっているのではなく、何かを深く考えている様子だった。

 「おじょうさん、お名前は?」

 「ヘレン・サウジーです。」

 「明日の2時にいらっしゃい。その時に話しましょう。」と彼女は言った。

 彼女は私に会釈すると、家の中に入って行った。

 私は思った。(ヘレン。自分でもびっくりだったけど、それと同じくらい、あの女の人も驚いていたわ。)

 私は希望とこわさが混じった気持ちで、町へ出てきた時と同じくらい、帰り道もずっと考え事をしていた。

 そういう訳で、私はテランスが私の背中をすべり落ちるまで、その存在に気が付かなかった。テランスは、大人しく物静かでひかえめな・・・カエルなのだ。私の服の中にいたくはなかったはずで、それは私だって同じだ。兄のアギーが背中からテランスを引き出してくれるまで、私は必死にもがいた。そもそも、私の背後にそうっと回って背中にテランスを入れたのは、アギーなのだ。

 アギーは、まるで生まれたばかりの子羊のように無邪気な目で私を見た。私は最初憤慨し過ぎて言う言葉もなかったが、やがて怒りの言葉が心に湧き上がり、ついに堪忍袋の緒が切れた。

 「こんなの、お兄ちゃんのやることじゃないでしょ!」

 「えっ? だれのこと?」

 私はあきれ返った。

 「もう、一体・・・」

 アギーは私が何も言わないように、タフィーを取り出して私にくれた。

 「そんなものくれたって、私がおこるの止めた訳じゃないからね。」 私は片手でタフィーを受け取り、もう片方の手を兄の目の前で振りながら言った。

 「そうなの?」 アギーはしょげ返って見せた。それから私達は大笑いしながら、家まで帰った。

 家に着くころには、テランスの件はきれいさっぱり忘れていた。私は真っすぐ母の所へ行って、明日の2時、人に会う約束ができたいきさつを話した。

 「何てこと! よくもまぁ、そんなことを言う度胸があったわね!」 母はびっくり仰天してそう言ったが、内心私のことをちょっぴり誇らしげに思っているようでもあった。

 アギーでさえもが、まるで別人を見るような眼差しで私を見た。

 夕食の後、母と父は、私があの大きな家で働くことについて話し合った。うれしいことに、少なくともホイットフィールドさんが私を雇ってくれるかどうかを見てみようということになった。アギーは私に付き添うようにと言われて、まるで鶏小屋に侵入したずる賢いキツネのように喜んでいた。テランスを川に戻して来なさいと父に言われても、素直に聞き入れたほどだ。

* * *

 翌日、私は緊張のあまり、あんなことをホイットフィールドさんに言うなんて、思いつかなければ良かったのにと思うほどだった。ありがたいことに、アギーはそばにいて、冗談を言ったりして、私の緊張を解きほぐしてくれた。ホイットフィールドさんの家に着くまで、馬車道を歩きながら、ずっとひょうきんに振る舞っていてくれた。そして、私が野鳥のごとくビクビクしていたことを思い出さない内に、家の扉が開き、執事が私達を居間に案内してくれた。

 ホイットフィールドさんは、いくぶんほほ笑みを浮かべながら部屋に入って来た。昨日ほどはこわばっていないようだ。彼女も座って、いっしょにお茶を飲んだ。

 「ご家族は大勢いるの?」

 「はい。両親を入れて、9人家族です。」

 「おやまぁ!」 彼女はびっくりしていた。しばらくすると言った。「お父様のお仕事は?」

 「父は製材所で働いています。私達は農場に住んでいます。」

 「あなたが一番年長なのかしら?」

 「一番上は兄のアギーで、15歳です。」 そう言って、私はアギーの方を見た。すると、緊張感が私からアギーに乗り移ったようだった。アギーは、まるで関節もなくなってしまったかのように、背筋をピンと伸ばした。

 私は話し続けた。「私は二番目です。私の次がトロイとヘクター、そして双子のペネロープとヘラ、そして一番下がユリシーズです。」

 すると、彼女の表情がほころんで、やがて満面笑顔になった。まるで、完璧なおばあちゃん役になったように見えた。

 「お父様はきっと、ホメロスの愛読家なのね。」

 私にはそれがどういう意味か、分からなかった。

 彼女はまたほほ笑んで言った。「仕事について考えてみたのだけれど、実のところ、うちの家政婦には、掃除や料理や雑用を手伝ってくれる人が必要だったの。もし月曜日から木曜日まで、朝の10時から夕方5時まで来ていただけるなら、〇〇ドルをお支払いするわ。」 まだ12歳の私には、身に余るほどの額だった。

 「はい、よろしくお願いします!」 私は喜びのあまり声高にそう言って、手を差し出した。

 ホイットフィールドさんは握手に慣れていないようで、一瞬ためらったけれど、またもやおばあちゃんらしいほほ笑みになって、私とかたい握手を交わした。

 それから彼女はアギーの方を向いた。アギーは以前よりも更にあり得ないくらいに体をこわばらせた。

 「イギリスにいる馬丁(馬の世話をする人)が来るまで、何か月か、馬屋の仕事を手伝ってくれる人が必要なのだけど、どうかしら?」

 「えっ・・・も、もちろんやります!」 アギーは興奮して答えた。

 その後少しおしゃべりして、私達はまた握手を交わし、それから家へ帰った。私はまるで宙を舞うような気分だった。アギーは半時間程、まるでブリキの兵隊のように歩いていた。

* * *

 翌週の月曜日から、私達は働き始めた。ホイットフィールドさんは私を家政婦のアデルさんに紹介した。アデルさんはイギリスで20年以上もホイットフィールドさんのために働いてきた人で、海を渡ってこの新しい家でも働いてくれるほど、ホイットフィールドさんを慕っていた。

 アデルさんは、背が高くがっちりした体格だった。淡い色の髪は、頭上でひとまとめにして大きなピンで留められていた。彼女は、私のきちんと継ぎはぎされた服を食い入るように見つめ、まるで板に張り付いた虫でも見るかのように、頭のてっぺんからつま先までながめた。ちゃんと顔を洗って、爪もいつもより入念にきれいにしておいて良かった。絶対に見られていただろうから。それに、私がちゃんと耳の後ろ側も洗っているかを知る方法だって心得ているんだろう。

 彼女は言った。「仕事する時は、このエプロンを付けて、この帽子をかぶる事。家の中には泥を持ち込まない事。窓や鏡には、指紋を付けない事。動物を家の中に入れない事。そして、汚れた手でカーテンを触らない事。」

 私は少々いら立ったが、私がそんなことをするはずがないことを、この家政婦が知る由もなく、それに気付くと、おかしくさえ思えた。

 「はい、もちろん、そのようなことは心得ております。」 私はできる限り真面目な顔をして答えた。

 このお屋敷で、先に述べたような恐ろしい事を私がする訳などないと信頼してもらうには、1週間かかった。それまでの間、彼女はしつこいほどに、常に私を肩越しに監視していた。最初の週は、とても簡単な仕事だった。お皿洗いに暖炉の掃除、薪の補充、草取りなど。ホイットフィールドさんはあまり見かけなかったが、たまたま会った時にはほほ笑んで、仕事はうまくいっているかなどとたずねた。

 2週目には、奇跡が起こった。庭の草取りを終えて家の中に入ろうとしていると、アデルさんがこちらに向かって走って来るのが横目に見えた。家の中に泥を持ち込まないように注意するつもりだろう。私は落ち着いて、靴底に付いた泥を落とすために用意されていた棒で泥を落とし、固唾をのんだ。アデルさんは立ち止まって、口角をひきつらせた。ほほ笑んでいるつもりなのだろう。それから向きを変えると、家の向こう側に戻って行った。それ以来、私の周りをうろついて監視することはなくなった。

 彼女は何も言わなかったが、彼女の行動で、私を信頼していることが分かった。

 そのころまでには、他の使用人の人達とも知り合いになった。執事のジェニングスさんに、料理人のローズさん、それに、ホイットフィールドさんが「フットマン」と呼んでいる、ここそこで仕事をする2,3人の人達。どうしてその人達が「フットマン」と呼ばれるのかは分からない。彼らはいわゆる「何でも屋」みたいな人達なのだ。「フットマン」とは、何だか立派な名前に聞こえるけれどね。

 2週目には、ホイットフィールドさんの弟さんにも会った。背の高いトマトの木の列と、更に高いトウモロコシの列の間を歩いていた時、私は危うく、うつ伏せに寝っ転がっていた男の人につまずきそうになった。もうちょっとで悲鳴を上げるところだった。

 落ち着きを取り戻すと、私はやっとのことで言った。「旦那様? だいじょうぶですか?」

 その人は私を見ると、ひじを付いて顔を上げた。「何だい? 大丈夫かって? もちろん、全くもって大丈夫ですよ。」  そう言うと、ゆっくり立ち上がった。ホイットフィールドさんとそっくりだ。ただし、目だけは、いたずらっぽく輝いていた。

 「何度かおじょうさんのことはお見かけしておりましたが、正式な紹介にあがったことはありませんね。私は、ハリス・フェザーリントンといいます。長ったらしい名前ですな。」

 「確かに長いお名前ですね。」 私も認めた。

 「おじょうさんのお名前は?」

 「ヘレン・サウジーと申します。」

 「それはまた、気の利いた、それでいてすてきな名前だ。おじょうさんに1つ、お願いがあるのだが。私はもう、みんなにフェザーリントンと呼ばれるのがいやになってな。ハリスと呼んでもらえるかね? ハリーおじさんでも構わんよ。」

 「分かりました、ハリスさん。」

 「素晴らしい!」 彼は声高にそう言うと、とても親しげにおじぎして、大またで家の中に入って行った。

 私は草取りを続けたが、どうしてハリスさんが地面に寝そべっていたのか、さっぱり分からなかった。家の中に戻ると、さっき見たことをアデルさんに話し、彼が一体何をしていたと思うかたずねた。

 「地面に寝そべっていたですって?」 アデルさんは舌打ちをした。「また服が台無しだわ。汚れを落とすのに、どれだけ時間がかかることか。」

 「でも、一体何をしていたんでしょうか?」 私はまたたずねた。

 「私も1度聞いてみたのよ。だけど、何を言っているのか、ちっとも分からなかったの。今度また畑か裏庭で地面に寝っ転がっているのを見かけたら、たずねてみるといいわ。それと、服は全部、シミと穴だらけですよって、伝えておいてくれるかしら。」

 そう言うと、アデルさんはフンと鼻を鳴らして、仕事に戻って行った。

 翌月は、とても忙しかった。ホイットフィールドさんと同じくイギリスから移住してきた友人が何人も立ち寄ったからだ。それは、料理もお皿洗いも洗濯も増えることを意味していた。ただ、ほこり掃除だけは少し減った。

* * *

 このころ、私はアデルさんと親しくなった。やることがものすごくたくさんあったので、アデルさんとホイットフィールドさんは私に、より幅広い仕事を頼むようになった。食料雑貨店への買い出しや、銀食器をみがいたり、2階の寝室を掃除するなどだ。アデルさんはまもなく、私を「サウジーさん」ではなく「ヘレン」と呼ぶようになった。そして私にも、彼女を単に「アデルさん」と呼んでと言った。

 次に私が畑で寝そべっているハリスさんを目撃したのは、9月の初めごろだった。今回は、イチゴ畑のそばだった。

 「こんにちは、ハリスさん。何をしていらっしゃるのですか?」

 「やあ、こんにちは、サウジーさん。私は、実に興味をそそられる、マーミコロジィの仕事に夢中でしてね。」

 確かに、アデルさんが言っていた通りだ。たった今、ハリスさんが何と言ったのか、私にも全く分からない。「マ・・・マーミ・・・? それって、何なんですか?」

 「よくたずねてくれたね。マーミコロジィとは、アリ学のことだ。つまり、アリの研究をすることだよ。アリの研究をする人は、マーミコロジスト(アリ学者)というんだ。」

 「そうなんですか。」 私はためらいがちに答えた。ハリスさんはひざを付いて、小さな盛り土に虫メガネを向け、熱心にのぞき込みながら、話し続けた。「私は、ここにあるアリ塚が、全く新しいアリの巣の出入り口なのか、それとも、トウモロコシとトマトの間にあるアリ塚の裏口なのかどうかを突き止めようとしているのです。そのためには、サンプルが必要でね。サウジーさん!」

 「はい?」 私は返事した。

 「よろしかったら、この虫メガネを持っていて下さらんか? そうそう! それで結構です。」

 ハリスさんは試験管で、素早く小さな黒アリをすくってつかまえた。コルクでふたをすると、私の方を見て言った。「手伝って下さって、ありがとう、サウジーさん。」 彼はハンカチを出して額をぬぐった。

 次の2か月ほどは、ハリスさんのこのような研究を何度も手伝った。それで、11月の半ばごろまでには、畑の地下に住んでいるアリの巣については、何でも知っていた。私は、聖書の時代にソロモン王も、アリについて研究し、観察したことを箴言に書いていたことを知った。今では、つっかえずに「マーミコロジー」と言えるようになった。アデルさんにも、アリの生態やその神秘を、納得のいくまで説明した。

 他の仕事でも、私は超多忙だった。イギリスからまたもやお客さんが何人も来て、新年まで滞在することになっていたからだ。

 お屋敷での私の仕事は順調だったが、自宅の方は、ずっと大変な状況だった。製材所での仕事がかなり減ったことで、父は定職を失ったからだ。それに、今年は霜が早く降りて、晩秋の収穫物の大部分が被害を被ってしまった。アギーと私には仕事があったが、大人ほどの賃金はもらえなかったので、年末近くなると、暮らしは細々とやっていくしかなかった。だが、私は「単に細々と」暮らすのはいやだった。それで、かなり落ち込んでしまった。アギーと私に仕事が見つかった代わりに父の仕事が減ったなんて、やるせない気持ちだった。私は、飾りでいっぱいのクリスマスを迎えたかった。みんなにプレゼントがあり、自由に使えるお小づかいも少しずつあったらなぁと思っていた。私はため息をつくと、仕事に戻った。

* * *

 クリスマス前の最後の仕事の日、家を出る時は、スパイスやらのいいにおいが家に立ち込めていた。母は双子のトロイとヘクターに、アップルパイ用のりんごを切るのを手伝わせていた。去年、この二人はクッキーの種に入れるあらゆるものに手を出し、全部混ぜ合わせるまではベーキングパウダーや小麦粉がおいしくないことを知った。それより年下の子供達は外に出て、雪で遊んでいた。

 「お母さん、行ってきます。」 そう言うと、アギーと私は仕事に出かけた。母はほほ笑んで、小麦粉だらけの手を振った。「お母さん、すごくつかれているみたい。」 雪を踏んで進みながら、私はアギーに言った。アギーも真剣な顔でうなずいた。彼も気付いていたんだ。

 その日、私はお屋敷で、2階の寝室と居間を掃除した。1週間のクリスマス休暇前の最後の仕事だ。ホイットフィールドさんは、他のスタッフと同様、休んでいる間の分もお給金を払おうと言ってくれた。非常にありがたかった。

 ホイットフィールドさんの居間の片隅は、しばらくの間掃除されていなかった。小さな書き物用テーブルに、ポケット版の本が数冊入った小さな本棚がのっていた。私は注意深くその周りのほこりを払い、テーブルを拭いていると、本と本の間から何かがはみ出ているのが見えた。表紙の大きさとは合っていなかった。本を出してみると、古い10ドル札が5枚、ひらひらと床に落ちた。50ドルだ!

 私は、自分を聖人と言うつもりは全くない。だから、そのお金がものすごく大きな誘惑だったと言っても、やましくは感じない。ふと、そのお金があれば冬の間助かるなぁという思いが過った。きっと、そのお金はもう何か月もそこにあったのに、だれも気付かなかったんだから、私が取ったところで、だれも気付かないだろうなどと考えた。

 もちろん、人の物を取るのは正しい事じゃないと分かっていた。でもその時、私は、クリスマスプレゼントを買うお金を貯めるために、ケチケチして細々と暮らさなくてもいい全ての金持ちの人達に対して、大きな怒りを覚えた。母には、ホイットフィールドさんからクリスマス手当をもらったと言えばいい。私が嘘をついているなんて、絶対に思わないだろう。

 その時、私は非常に恥ずかしくなった。私が嘘をつくなどとは母が決して思わないのは、母が私を信頼してくれているからなのだ。ホイットフィールドさんも、ハリスさんも、アデルさんも、私を信頼してくれている。もし私がそのお金を盗んだら、私はその信頼を完全に裏切ることになるのだ。たとえ、だれも気付かなかったとしてもだ。私はそのお金をにぎると、1階に駆け下りて行った。そこではホイットフィールドさんがクリスマスのお祝いをする準備をしていた。

 「ホイットフィールドさん、これが2階の本の間にはさまっていました。」 私は彼女にさっとお札を渡しながら、あわてて言った。それから、家具のほこりを払っていたことやら何やらをもぐもぐと口走って、彼女がお礼を言う間もない内に、さっと走り去った。お礼は聞きたくなかった。

 私はもうちょっとのところで、泥棒になるところだったのだから。

 その日の午後、アギーと私はその月のお給金をもらうためにホイットフィールドさんの所へ行った。そこにはハリスさんもいた。

 「二人とも、色々とたくさん手伝ってくれて、本当にありがとう。」 そう言って、ホイットフィールドさんは私達の名前が書かれた給料袋を1人1人に手渡した。

 「それから、あなた達にクリスマスプレゼントもあるのよ。」 ホイットフィールドさんは満面の笑みを浮かべながら言った。

 ハリスさんは私に、美しい銀のネックレスをくれた。それには、透明な茶色の宝石が付いていた。「これは琥珀と言ってね。樹液が化石化してできたものだ。よく見てごらん。中にアリが入っているんだ。」

 「まあ、ありがとうございます! 世界一キレイです!」 私は興奮して言った。

 ハリスさんは、アギーにも紙袋をくれた。「外に出たら開けてごらん。」 そう言って、ハリスさんはウインクした。彼の少年っぽいほほ笑みを見て、弟のヘクターを思い出した。

 帰る途中、私はあのお金を取らなかったことで、心から嬉しく思っている自分に気付いた。もし私がそのお金を盗んでいたなら、彼らがアギーと私にクリスマスプレゼントをくれていた時、私はパニックを起こして泣きくずれていただろう。とは言っても、年下の弟妹達にプレゼントを買ってあげるような余裕がないことには変わらなかった。それを考えると、やはり悲しくなった。

 突然、私の思考はアギーの驚いた叫び声でかき消された。振り向くと、アギーはプレゼントを地面に落としていた。開いた袋から何が飛び出したと思う? 2匹のゴム製のヒキガエルだった! あまりにも大きくて本物そっくりだったので、私は思わず、以前アギーに背中に入れられたカエルの感触を思い出してぎょっとしてしまった。少しの間、私達はぼうぜんとし、その後吹き出してしまった。雪の中で、私達は涙が出るほど笑い転げた。それからアギーは2匹のカエルを拾うと、声を震わせながら、厳粛な口調で言った。「ぼくはこのカエルに、テランス2世と命名する。そしてこちらには、フェザーリントン2世と命名する。」 それはうってつけの名前だと、私達の意見は一致した。私達はテランスとフェザーリントンを袋に戻し、家に着くまで、そのゴムガエルで何ができるかを色々と話した。

 暖炉の炎と食べ物のにおいと、トロイとヘクターがベッドに入っている屋根裏部屋から聞こえてくるキャッキャッという笑い声で、私の心の中は暖かくなった。私は母と父を抱きしめて言った。「ただいま! やっぱり、うちが世界一ね!」

 母がほほ笑むと、アギーと私は母に今月の給料を渡した。

 私達が、鼻がこげそうなほど暖炉のそばに寄って手を温めようとしていると、母が、息が止まらんばかりに驚きの声を上げた。

 私達が振り返ると、母は、私の給料袋にいつもの給料以外に、10ドル札が5枚入っているのをながめて、あぜんとしていた。

 「一体これって、どういうことなの?」と、母がたずねた。

 私だって、信じられなかった。お札には、ホイットフィールドさんのきれいな手書きのメモが留めてあった。

サウジー様

 ここ6か月の間、あなた様の子供達に家で働いてもらうことができて、光栄に思っております。二人とも、本当に働き者ですね。また、ヘレンさんのこともよく知り、彼女が非常に信頼できる方であることも分かりました。

 弟のハリスも、こんなに熱心なアリ学者にはお目にかかったことがないと申しておりました。研究の助手を務めてくれていることを、とても感謝しております。同封したものは、休暇手当です。どうか、良いクリスマスをお過ごし下さい。

敬具

ホイットフィールド

 母は我に返ると言った。「これは今までで、最高に驚きのクリスマスプレゼントだわ!」 アギーの目が輝いた。「ちょっと待って。ぼくも、ハリスさんからもらったクリスマスプレゼントを見せるから!」

終わり

文:松岡陽子 絵:ティアゴ デザイン:ロイ・エバンス
出版:マイ・ワンダー・スタジオ Copyright © 2021年、ファミリーインターナショナル

クッキー解放作戦

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クッキー解放作戦

 その作戦は、暗い嵐の夜に企てられた。部屋には、ベッドわきの小さな薄暗い明かりが1つ、ついているだけ。その周りに、この共謀者3人が集まっていた。

 「みんな、今の状況は分かっているね。夜の9時には、キッチンでクッキーが焼かれた。そして9時半にはビンに入れられ、食料庫に片付けられた。」 最年長で一番背の高いトムが、長い竹の物差しで扉の方を指して言った。

 カーテンの向こう側では、雷の音がとどろいている。トムは戦友達をじっと見つめて言った。「今夜、ぼく達はそれを解放するんだ。」

 最年少のジョンがうなずいた。「もし今すぐ行動に出ないなら、2度とお目にかかることはできないかもしれないものね。」

 ジョンとトムは、作戦を成功させるのに必要な最後の構成人物サラに目を向けた。

 サラは、答えに躊躇した。問題になっているクッキーのにおいはかいだし、それらが悲しくも、注意深く片付けられてしまう場面は、他の2人と共に見守っていた。だが、この作戦には、どうも腑に落ちないことがあった。

 もちろん、クッキーを食べるのに異論はない。それが最高の部分だ。それでこそ、この作戦を練った甲斐があるのだから。だが、それ以外の全てが問題だった。サラはゆっくりと手を挙げて言った。「問題があるわ。」

 他の2人が、けげんそうにサラの方を見た。「あのクッキーは、何かの目的のために作られたんじゃないかしら。例えば、明日、雨でずぶぬれになったお客さんが来て、お母さんがクッキーを取りに行くかも。だけど・・・もし私達がそれを食べてしまっていたら? それって・・・」

 トムとジョンが動じないようなので、サラはもじもじした。

 「サラがいないと、この作戦は実行できないよ。覚えてる? ぼくがジョンをかつぎ上げて、ジョンは食器棚の一番上からクッキーを取る。サラは見張り役だよ。これは、1-2-3方式、A-B-C方式なんだ。不滅のチームワークの力が必要なんだよ! サラがいないと、全てが台無しになっちゃうんだ!」

 サラはため息をつき、渋々同意した。この作戦は間違っていると思う一方で、自分を必要としている仲間を見捨てることもできないと感じたのだ。

 3人は、まるでネズミのように足音を全く立てず、つま先立ちで静かにそうっと部屋を出た。雨粒が窓に当たる音がする。外では、風がヒューヒュー吹き荒れていた。3人は、きしむ階段をゆっくりと下に降りて行った。一歩進むたびに、サラは自分の選択に苦しんだ。甘くてサクサクしたクッキーの味は、手に取るように想像できた。食べられるのを待っている、丸くてこんがり焼けたクッキーが思い浮かぶ。だが、不安な気持ちをぬぐい去ることはできなかった。

 やがて、3人は食料庫の前に着いた。扉はまるで、3人と目的物を隔てる頑丈な砦か山のように、目の前にぬぅ~っと立ちはだかっていた。トムはゆっくり、扉を開けた。サラは、それがきしんで音を立てるのではないかと、かたずをのんで見守っていた。

 「第2段階、開始。」と、トムがささやいた。

 トムは食料庫の中にそっとしのび込むと、後に続くようにと、ジョンに手招きした。サラは、ろうかに面して並んだ扉を見ながら、今にもだれかが出て来はしないかと、そわそわしながら足踏みしていた。時計の針は、ゆっくりと秒を刻んでいた。まるで、1秒たつごとに、秒針の音が大きくなるようだった。

 もうちょっとでクッキーが手に入るぞという、トムのひどく興奮したささやき声がして、焼き立てクッキーのにおいが食料庫からただよってきた瞬間、サラは自分の取るべき行動を決意した。

 そ~っとキッチンの出口に走り寄ると、サラはありったけの深呼吸をして、扉をバタンと閉めた。

 扉の閉まる大きな音と共に、3人はキッチンから飛び出した。一目散に階段の一番上までかけ上がると、それぞれ自分の部屋のベッドの中に飛び込んだ。3人がかけ抜けた後のろうかには、ただ裸足のかすかなパタパタという音だけが響いていた。3人は布団に深くもぐり込み、ハァハァと息を切らしながら、かたずをのんで、何が起きるのか、じっと待った。

 まもなく、扉の下のすきまから、明かりが差し込んできた。聞こえてきた足音はろうかで止まり、その後、向こうの方へと遠ざかっていった。

 トムは、ジョンと顔を見合わせて言った。「危機は過ぎ去った。」 そして2人はサラの部屋へしのび込んで来た。

 「一体、何が起こったの?」と、ジョン。

 「だれかが当局に通報したんだ。」 トムがまじめくさった顔で言った。

 サラは、分厚い毛布の下でさえ、2人の強い視線を感じていた。サラは毛布の下からのぞくと、「2人共、ごめんね。」と言った。一瞬、その場が沈黙に包まれ、雨粒が窓に当たる音だけがしていた。やがて、サラがささやいた。「そうしなければならなかったの。作戦を続行することなんて、できなかったのよ。」

 サラはベッドの上に起き上がった。「始める前に言ったでしょ。これは正しいことじゃないって。作戦を最後まで果たせなくって、ごめんね。だけど、私の良心への誠実さが、この作戦や1-2-3方式への誠実さよりも強かったのよ。」

 2人の少年はじっと聞いていたが、心の中では、サラの言う通りだと思った。その作戦を立てた夜は、協定を結ぶ夜となった。そして、やわらかな月明かりの下で、新しいルールが書き記された。「作戦を企てるためには、私達の良心の同意を要する。」

 朝になると、朝食の場で母親がみんなに言った。今日は「先生の日」だから、みんなの先生にプレゼントするため、クッキーをきれいなセロファンで包んで用意したということだった。もちろん、子供達の分も、ランチボックスの中に入れておいてくれた。

 3人は、おたがいに顔を見合わせた。だれも何も言わなかったけれど、みんな、クッキーが夕べの間、ずっと「とらわれの身」のままで、本当によかったと思った。

考えてみよう:

 君は、仲間への忠誠心がこんなふうに試されたことって、あるかな? その時、君はどうした?

文:スティーブン・シュワルツ 絵:松岡陽子 デザイン:ロイ・エバンス
出版:マイ・ワンダー・スタジオ Copyright © 2020年、ファミリーインターナショナル
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