レベル1 子どものアクティビティ アーカイブ
シャドーボックス:イエス様の教え:祈ることを教えて下さい
シャドーボックス:イエス様の 教え:祈ることを 教えて下さい
マタイによる 福音書 6:9-13を もとに
イエス様の 弟子の 1人が、イエス様に 言いました。「主よ、わたしたちに、祈ることを 教えて下さい。」*1*
そこで イエス様は、弟子達に こう 言われました。「祈る ときには、こう 言いなさい。
『天に います われらの 父よ、御名が あがめられますように。御国が 来ますように。御心が 天に 行われるとおり、地にも 行われますように。わたしたちの 日ごとの 食物を、きょうも お与えください。わたしたちに 負債の ある 者を ゆるしましたように、わたしたちの 負債をも おゆるしください。わたしたちを 試みに 会わせないで、悪しき 者から お救いください。国と 力と 栄えとは、限りなく あなたの ものだからです。アァメン。』」
この 祈りは、ルカによる 福音書の 11:2-4にも 書かれています。
脚注:
*1* ルカによる 福音書 11:1
文と絵とデザイン:ディディエ・マーティンCopyright © 2022年、ディディエ・マーティン 許可を得て使用
シャドーボックス:イエス様の教え:あなたがたは、世の光である
シャドーボックス:イエス様の 教え:あなたがたは、世の 光で ある
ヨハネによる 福音書 1:4、8:12と、マタイによる 福音書 5:14-16を もとに
ヨハネは 福音書の 中で、イエス様について、こう 書いています。「この 言に 命が あった。そして この 命は 人の 光で あった。」*1*
イエス様は、人々に こう 言われました。「わたしは 世の 光で ある。わたしに 従って 来る 者は、命の 光を 持つで あろう。」*2*
イエス様は、弟子達にも、このように 言われました。「あなたがたは、世の 光で ある。あかりを つけて、それを 枡の 下に おく 者は いない。むしろ 燭台の 上に おいて、家の 中の すべての ものを 照らさせるので ある。そのように、あなたがたの 光を 人々の 前に 輝かし、そして、人々が あなたがたの よい 行いを 見て、天に います あなたがたの 父を あがめるように しなさい。」*3*
脚注:
*1* 口語訳聖書、ヨハネによる福音書 1:4
*2* 口語訳聖書、ヨハネによる福音書 8:12参照
*3* 口語訳聖書、マタイによる福音書 5:14-16参照
文と絵とデザイン:ディディエ・マーティンCopyright © 2022年、ディディエ・マーティン 許可を得て使用
シャドーボックス:イエス様の教え:たがいに仕え合いなさい
イエス様の 教え:たがいに 仕え合いなさい
ヨハネによる 福音書 13:4-17を もとに
イエス様の 地上での 最後の 日々が 終わろうと していた、ある 過越の 祭りの 前日、弟子達との 食事が 終わると、イエス様は 席から 立ち上がって 上着を ぬぎ、腰に 手ぬぐいを 巻きました。それから 水を たらいに 入れて、弟子達の 足を 洗い、腰に 巻いた 手ぬぐいで ふきました。
シモン・ペテロが 足を 洗ってもらう 番に なると、ペテロは とても 決まり悪く 感じて、イエス様に 言いました。「主よ、あなたに 足を 洗って いただくなど、とんでもない ことです!」 すると イエス様は、そうする ことが とても 大切なのだと 説明しました。
みんなの 足を 洗い終わると、イエス様は 弟子達に こう 言われました。「主で あり、また 教師で ある わたしが、あなたがたの 足を 洗ったからには、あなたがたも また、たがいに 足を 洗い合うべきで ある。わたしが あなたがたに した通りに、あなたがたも するように、わたしは 手本を 示したのだ。この 真理が 分かり、たがいに 謙虚に 仕え合うなら、あなたがたは 幸いで ある。」
文と絵とデザイン:ディディエ・マーティンCopyright © 2022年、ディディエ・マーティン 許可を得て使用
シャドーボックス:イエス様の教え:たがいに愛し合いなさい
イエス様の 教え:たがいに 愛し合いなさい
マルコによる 福音書 14:12-17と、ヨハネによる 福音書 14:16-17、15:4-15と、マタイによる 福音書 26:36を もとに
過越の祭り*1*の 時、イエス様と 弟子達は 過越の 食事のために 部屋に 集まり、そこで イエス様の 地上で 最後の 食事を します。食事が 終わると、イエス様は 弟子達に、これから 彼らの 助け主と なり、慰め主と なる、真理の み霊である 聖霊が 来ることを 教えます。
それから イエス様は、神の 国のために 良い 実(成果)を 結ぶ ことに ついても 説明します。イエス様は、弟子達に こう 言って 教えました。「わたしの いましめは、これで ある。わたしが あなたがたを 愛したように、あなたがたも たがいに 愛し合いなさい。人が その 友のために 自分の 命を 捨てる こと、これよりも 大きな 愛は ない。あなたがたに わたしが 命じる ことを 行うならば、あなたがたは わたしの 友である。わたしは あなたがたを 友と 呼んだ。わたしの 父から 聞いた ことを 皆、あなたがたに 知らせたからで ある。」*2*
その後、イエス様は 弟子達と いっしょに、オリブ山の ゲツセマネの 園へ 出かけて 行ったのでした。
*1* 出エジプト記 12:25-27 参照
*2* ヨハネによる 福音書 15:12-15 参照
文と絵とデザイン:ディディエ・マーティンCopyright © 2022年、ディディエ・マーティン 許可を得て使用
シャドーボックス:イエス様の教え:だれが一番えらいのか?
シャドーボックス:イエス様の 教え:だれが 一番 えらいのか?
マルコによる 福音書 9:33-35を もとに
イエス様と 弟子達は、ガリラヤの 旅が 終わって、カペナウムの 家で 休んで いました。イエス様は 弟子達に たずねました。「あなたがたは、道の とちゅうで 何を 論じて いたのか?」
弟子達は、はずかしく なりました。というのは、彼らの 中で だれが 一番 えらいのか、と 言い争って いたからです。それで、イエス様に 答えられずに だまって しまいました。弟子達が どうして 言い争っていたかを 知った イエス様は、みんなに 言いました。「だれでも 一番 先に、あるいは えらい 者に なろうと 思うならば、一番 後に なり、みんなに 仕える 者と ならなければ ならない。」
(くわしい お話は、ルカによる 福音書の 22:24-27と、ヨハネによる 福音書の 13:1-17で 読んでね。)
文と絵とデザイン:ディディエ・マーティンCopyright © 2022年、ディディエ・マーティン 許可を得て使用
シャドーボックス:イエス様の教え:「もし できるなら!」
シャドーボックス:イエス様の 教え:「もし できるなら!」
マルコによる 福音書 9:14-29を もとに
ある時の ことです。弟子達が 大勢の 人達に 囲まれ、何人かの 律法学者達と 論争に なっていました。それを 見た イエス様が たずねました。「何について 論じ合って いるのか?」
ある人が イエス様に こう 説明しました。「私の 息子が、悪い 霊に とりつかれると 話せなく なって あばれ回るので、助けて いただこうと 思って 連れて 来たのですが、お弟子さん達には 息子を いやす ことが できませんでした。」
「いつから、こんな ふうに なって いるのですか?」と、イエス様が たずねました。
「小さな 時からです。どうか、私達を あわれんで 下さい。もし できるなら、助けて ください!」と、父親が 言いました。
イエス様は 父親に 答えました。「『もし できれば』と 言うのか? 信じなさい! 信じる 者には、どんな 事でも できるのだから。」
すると 父親は さけびました。「信じます。不信仰な 私を、お助け下さい!」
イエス様は 悪い 霊に、その子から 立ち去るように、2度と もどって 来るなと 命じたのでした。
文と絵とデザイン:ディディエ・マーティン Copyright © 2022年、ディディエ・マーティン 許可を得て使用