マイ・ワンダー・スタジオ
つながっていよう
土曜日, 7月 10, 2010

つながっていよう

 カエルは、いきなり熱いお湯に入れると飛び出すけれど、水に入れて少しずつ熱していくと、水がだんだん熱くなっていくのに気づかず、煮えてしまうと言われている。明らかにカエルは、水がどのくらい熱くなると危険なのか、わからないみたいだね。

 クリスチャンの生活も、同じなんだよ。誘惑がみにくい頭をもたげても、ほとんどの人は危険がひそんでいることに気づかず、身を引くこともしない。だけど、わたしたちの決意をむしばみ、神様から引きはなし、霊的な生活に最大の害を与えるのはふつう、わたしたちが許してしまう、ちょっとした誘惑なんだ。

 神様の言葉を読む時、心が深く養われることから気をそらすような、誘惑やじゃまが入ることがあるよね。そして、神様や御言葉とのつながりがなくても、1日や1人の人生に大した影響はないように思える。万事順調で、おそらくはイエス様とつながったり、御言葉を勉強するのはそれほど大切ではないんじゃないかと考え始めるかもしれない。

 どうしてか、知っているかい? それは悪魔が、わたしたちが弱くなるのを待っているからなんだ。わたしたちの心と思いが弱くなったら、それを利用しようと待ち構えているんだよ。

 使徒ペテロは、ペテロの第1の手紙5:8の中で、こう書いている。「身をつつしみ、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。」 悪魔は、すぐに問題を起こすわけじゃない。御言葉の勉強をし損なったからって大したことはないとか、別に何も悪いことは起こってないと、わたしたちが思い始めるのを待っているかもしれないんだ。わたしたちが霊的に非常に弱くなるのをねらって、その時に、おそれや絶望感やその他の問題で攻撃しようとしているのかもしれない。

 イエス様に従う者として、わたしたちは、神の言葉を勉強しないであまり長くやっていくことはできない。最初は、それが悪い影響を与えているようには見えなくてもね。神の言葉はわたしたちを活気づけ、わたしたちの信仰を増してくれる。わたしたちは御言葉を通して、神が示される多くのすばらしい真理を理解する。御言葉は、神に従うわたしたちのための神の御計画を知る手がかりになる。神の言葉を学ぶために費やす時間は、優先する価値があるんだよ。それがむずかしい時でもね。だって、それこそが、わたしたちの心を強めてくれるものだからだよ。

 わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました!(詩篇 119:11、口語訳聖書)

 したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。(ローマ人への手紙 10:17、口語訳聖書)

 人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。(ヨハネの福音書 6:63、口語訳聖書)

ダウンロード
タグ: 神のみ言葉