メシア預言とその成就、第1部
有名人が君の町に来たり、待望の3D映画やお芝居が君の町で見られることになったらって、考えてごらん。きっと、それを知らせるポスターや看板広告を見かけるだろうね。あるいは、新聞やウェブニュースで、その記事を見るかもしれない。特別なイベントをみんなが見逃さないよう、それを知らせるために多くのものがつぎ込まれるだろう。
だれもが知らなければならない重大なことが起こる時には、テレビや新聞や掲示板や広告チラシ、口コミ、さらには電子的な媒体を通して知らせ、その出来事にみんなの注意を引くよね。
では、神様が、地上に御自分の息子が到着することをみんなに知らせたいとしたら、どうだろう? 歴史上最も重要な人物の生涯を、どうやってみんなに伝えるかな? 神様は、何をされただろう?
神様は、御自分の息子イエス・キリストの到来を知らせるようにと、預言者達を霊感した。イエス様が生まれる何百年も前にね。このような知らせや、イエス様におけるその成就は、「メシア預言」として知られるようになったんだ。
「メシア」とは、ヘブル語で「油注がれた者」という意味。時を経て、それは「来るべきユダヤ人の王であり解放者」(メリアム・ウェブスター辞典)という意味になった。
旧約聖書には、新約聖書でイエス様によって成就された、約300のメシアについての預言が収められている。その全てが、イエス様が生まれる何百年も前に、神様によって数々の預言者達に与えられたものだ。その間、自分こそが旧約聖書で予告されていたメシアだと主張する者達もいたけれど、その内の誰も、記された預言の全てを成就できた人はいなかったんだ! これは、聖書に書かれていることが、確かに神によって霊感されたものだということを示す、驚くべき例だよ。
この2部からなるシリーズでは、イエス様の誕生と生涯と死において成就された、旧約聖書の驚くべき預言のいくつかを、くわしく見てみるよ。
預言:それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。(口語訳聖書、イザヤ書 7:14)
成就:イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。・・・すべてこれらのことが起こったのは、主が預言者によって言われたことが成就するためである。すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。(口語訳聖書、マタイによる福音書 1:18, 22-23)
預言者イザヤはこの時、自分の知っている人について語っていたのではなく、神様からの啓示を受け取っていたんだ。イエス様がメシアとしてついにこの地上にやって来た時に、人々がそれを知るのを助けるためにね。神様はこの後、イエス様の人生に何が起きるか、その重要な詳細を伝えるために、何度もイザヤを用いられたんだよ。
イエス様の時代、ユダヤ人達はイザヤの預言を知っていて、イザヤが予告した人が現れるのを待っていた。それでマタイは、イエス様の比類なき誕生の状況について、「すべてこれらのことが起こったのは、主が預言者によって言われたことが成就するためである。」と言ったんだ。マタイはユダヤ教を信じる人達に、来るべきメシアの誕生にまつわる特有の状況を予告する預言がイエス様によって成就されたことを示したかったんだね。
預言:「しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。」(口語訳聖書、ミカ書 5:2参照)
成就:イエスは、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった。(新共同訳聖書、マタイによる福音書 2:1)
預言者ミカは、イエス様がどこの町で生まれるかを予告していた。事実、生まれたばかりの王様をおがもうとして東方からやって来た賢者達が、ヘロデ王の宮廷へ行って道をたずねたところ、ヘロデ王が相談した人達は、「キリスト」(メシアという意味)が生まれる場所が記されているこの預言を、ミカ書から引用したんだ。そのお話を、マタイによる福音書の第2章1-12節から読んでみよう。
預言:シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。(口語訳聖書、ゼカリヤ書 9:9)
成就:(人々は)しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」 イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは・・・(預言に)書かれているとおりであった。(新改訳聖書、ヨハネによる福音書 12:13-14)
弟子たちは、・・・それをイエスのもとに連れて来た。そして、そのろばの子の上に自分たちの上着を敷いて、イエスをお乗せした。(新改訳聖書、ルカの福音書 19:29-35)
上記の場面は、過越の祭りの直前に、イエス様がエルサレムに入城された時の、勝利に満ちた様子を表しているけれど、預言者ゼカリヤは、それ以上のことを予見している。来たるべきメシアの特質、つまり、ユダヤ人の知る地上の王とはちがって、イエス様は謙虚な方であるということだ。
預言:ゆえなく、わたしを憎む者はわたしの頭の毛よりも多く、偽ってわたしの敵となり、わたしを滅ぼそうとする者は強いのです。わたしは盗まなかった物をも償わなければならないのですか。(口語訳聖書、詩篇 69:4)
成就:もし、ほかのだれもがしなかったようなわざを、わたしが彼らの間でしなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし事実、彼らはわたしとわたしの父とを見て、憎んだのである。それは、「彼らは理由なしにわたしを憎んだ」と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。(口語訳聖書、ヨハネによる福音書 15:24)
ヨハネによる福音書の第15章で、イエス様は、ダビデの詩篇の第69篇を引用している。その章は、イエス様の人生最後の日々と死についての預言として、広く認められているよ。
預言:彼らはわたしの食物に苦味を入れ、わたしのかわいた時に酢を飲ませました。(口語訳聖書、詩篇 69:21参照)
成就:そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、イエスの口もとにさし出した。(口語訳聖書、ヨハネによる福音書 19:29)
詩篇第69篇は、その全篇がキリストについての預言だと思われる。2-5節ではひどく虐待されることが述べられ、6節は弟子達と信者達のための祈り、15-19節はゲツセマネの園での出来事、20-22節は十字架刑、23-29節は神のユダヤ人への報復、30節はあらゆる苦しみから栄光のうちに解放されること、31節はモーセの律法の儀礼や儀式の廃止、そして最後に、33節では世界中に福音が宣べ伝えられることが述べられている。
聖書の解説:アダム・クラーク(1831年)
文はInternet Sacred Text Archiveの厚意による提供