そのすべての核心にあるもの、No.3:神のかたちに造られたとは?
神のかたちに、神に似せて造られたとは、どういう意味なんだろうって思ったことはありますか?
聖書の創世記の1:26-27には、こう書かれています。「神はまた言われた、『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り・・・。』 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し・・・。」
「かたち」と訳されているヘブル語の言葉は、似たもの、像という意味です。何か他のものを形にしたという意味でもあります。「かたどって」と訳されているヘブル語の言葉は、似たもの、あるいは似姿という意味です。神様は、これから造ろうとしておられた人間を、ご自身に似たものにすると言われました。それは、元々のものと似てはいるけれど、オリジナルそのものではなく、またオリジナルと全く同じでもない絵画のようであるということです。
神のかたちと似姿に造られたとはっきり言及されている被造物は、人間だけです。それが、人間が動物と非常に違う点です。人間が神と似ている点で、地上の他の生物にはないもの、あるいは同じ程度ではないものを、いくつか挙げてみましょう。
・人間は、人格のある存在です。他の人達と、深い友情や複雑な人間関係を築きます。
・神様は霊であり、人間にも霊があります。
・人間には自己認識能力があり、自分や自分の存在を認識しています。自分自身を知り、吟味し、判断できるのです。
・人間には、いくつもの選択肢から選ぶ能力があり、いったん選択したなら、その目標に向かって進むことができます。
・人間には分別があり、善悪を見分ける力があります。
・人間の霊は、不滅です。体が死んだ後も、永遠に生き続けます。神様は常に存在してこられたし、不滅性は神の本質の一部です。
・人間には、過去・現在・未来を認識する能力があり、論理的に考えて判断することができます。
・人間には創造力があります。神の創造と同程度のことはできないけれど、創造的な思考でアイデアを思いつくことができ、新しい音楽や芸術や文学作品を「創造する」ことができます。新しいアイデアや可能性を思いついて、それを実現させることができるのです。
・人間は、複雑な言語を用いてコミュニケーションができます。
・人間には、様々な感情があります。感情を表す動物達はいますが、人間が持つ感情は、動物達のものよりも、はるかに多様で複雑です。
神様が御自身にかたどり、似せて造ったと言われた唯一の被造物として、人間は、神様の目から見て特別な存在です。聖書には、人類が被造物の頂点にあること、また、神が人間を、地球を治め世話をする立場に置かれた、と書かれています。
人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ、これにみ手のわざを治めさせ、よろずの物をその足の下におかれました。すべての羊と牛、また野の獣、空の鳥と海の魚、海路を通うものまでも。(口語訳聖書、詩篇 8:4-8)
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。(口語訳聖書、創世記 1:27-28)
神様が私達を神のかたちに造られたことで最も大切な点は、神様にとって人間が価値ある存在とされたことです。神様は他にも様々な被造物を造られましたが、私達を神のかたちに造ることで、他のどんな被造物とも異なる存在にされたのです。
神様は、人間を個性のある存在、神や他の人間との関係を持てる存在とされました。体と霊を与えて、肉と霊が一体となった存在にされました。また、すべての人が罪深い性質を持っているにもかかわらず、私達を深く愛しておられたので、御子イエスの生と死と復活を通して、人類が神の元へ復帰できる道を作って下さったのです。
神様は、御自分のかたちである被造物を愛しておられるので、一人一人が神様にとって、価値ある存在です。ですから、私達もお互いを大切にするべきなのです。神様への個人の価値を下げるようなものは、何も存在しません。
すべての人間は、その人の出自や見かけ、男性であるか女性であるかや、病人か、身体障害者か、お腹を空かせた人か、意見の合わない人か、好きなタイプではない人達であるかどうかなど、一切関係なく、新生児か、子供か年配者かや、どんな事情や宗教的な信条にも関わらず、すべての人は神様にかたどられており、一人一人が尊重され、尊厳が与えられるべきなのです。
すると私達は、自分自身のことも、敬意と尊厳をもって見ることができるようになるでしょう。自分について気に入らないところがあっても、神様が自分を愛し、価値ある存在と見なして下さっていると知るなら、自分も、自分をポジティブに受け留め、自分の健康管理をきちんとし、ポジティブで神を敬うインプットで霊を養い、周りの人達と調和して仲良く暮らすようになるはずです。
つまり、神様が私達の隣り人を愛し気遣っておられるように、私達も、そうあるべきだということなのです。