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そのすべての核心にあるもの、No.6:神の救いの計画、パート2
金曜日, 7月 10, 2015

そのすべての核心にあるもの、No.6:神の救いの計画、パート2

 「そのすべての核心にあるもの、No.5:神の救いの計画、パート1」では、神様のあがないの計画がどのようなものなのかを説明する4つの概念について見てきました。それは、どのようにして私達が神様と和解し、自分の罪への罰から救われるかというものです。

 神様の救いの計画の背後にある動機とは、私達への愛です。その愛は、神の御子イエス様が、私達の罪のために命を捧げて下さったことで、明らかにされました。

 イエス様の犠牲的な死によって、神様と私達との関係が変わったのです。

 イエス様の死と復活から生じた3つの重要な結果とは、義とされること、子としての身分を授けられること、それに再生です。

義とされること

 新約聖書で「義とする」と訳されているギリシャ語の言葉は、「ディカイオー」です。その定義の一つは、「誰かが義であると宣言する」ことです。義とするとは、私達が義であると神様が認め、そう宣言して下さるという意味です。だからといって、救いの贈り物を受け取った人が、罪のない存在になるわけではありません。義とするとは、私達の罪がイエス様の上に置かれてイエス様のものとしてみなされると同時に、イエス様の義が私達の上に置かれ、神様からは、イエス様の義が私達の義とみなされるということです。

 これはすべて、神様の業であり、私達の働きによるものではありません。このゆるしと義を受けるに値する者となるために、私達にできること、成し遂げられることは、何一つないのです。私達への愛ゆえに、神様は、私達が神様から見て義と映るようになる道を作って下さいました。それは、私達の行いや善行によらず、ただ神の恵みと憐れみと愛によるものです。それは愛の贈り物であり、神様にとっては代価の大きいものですが、私達にとっては無料でいただくものなのです。

 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。口語訳聖書、エペソ人への手紙 2:8-9

 クリスチャンとして、罪を犯すことはあっても、キリストの義を持っているという立場が変わることはありません。救いを受けるに値するために十分なことをしただろうかとか、神様に十分近くいるだろうかと、疑問を感じる必要は、もはやありません。神様がすでに、その全てをして下さったからです。イエス様の死と復活によって、私達は今もこれからも、神様から見れば義なのです。

 罪を犯したなら、それを悔いて神様のゆるしを求め、誘惑に耐えられるように強くなろうと努力する必要があります。とは言っても、罪によって救いや義認を失うことはなく、「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」 のです。(ヨハネの第一の手紙 1:9)

子としての身分を授けられること

 イエス様の犠牲によって神様の目には義と認められるということの他に、救いによる、もう一つの大きな変化があります。それは、私達の神様に対する立場や、神様との関係です。罪によって神様と隔てられることがなくなるので、神様との関係が変わるのです。私達は、神様の家族の一員、つまり、神様の子となります。

 彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。口語訳聖書、ヨハネによる福音書 1:12

 神の子として神の家族に加わることは、「子としての身分を授けられる」(養子とされる)と呼ばれます。神の家族の一員としての関係ができるのです。私達の父親は、神様です。

 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。口語訳聖書、ガラテヤ人への手紙 3:26

 私達は今、ちょうど子どもが愛にあふれた父親と触れ合うように、神様と触れ合うことができます。これは、旧約聖書の時代や今までに存在していた関係よりも、はるかに親密なものです。

 父親としての神様に対する親近感や、神様が私達に抱いている愛は、イエス様が御自身の父について話しておられることにも表れています。

 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。口語訳聖書、マタイによる福音書 6:26

 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。口語訳聖書、マタイによる福音書 7:11

 神様は私達を、御自身の家族に迎え入れたり養子にしたりされなくてもよかったのに、そうして下さいました。養子縁組とは、その子を迎え入れ、世話し、愛するという義務のない人が、そうすることを選択するという、愛の行為です。神様は、私達が立派で素晴らしいからといって、あるいは神様のために善行を積んだからといって、私達を養子にして下さるわけではありません。私達を愛しておられるから、養子にして下さるのです。

再生

 イエス様の死と復活が信者の人生にもたらした、もう一つのものは、再生です。再生とは、霊的な変化であり、新しく造られた者になることです。

 聖霊は、あがなわれた人の罪深い性質を変え、霊的な変化をもたらします。新しいクリスチャンは、この新生という新たな土台の上に、霊的生活を築き始め、そこから成長するのです。

 新しく生まれること、つまり霊から生まれることは、救いの大きな要素です。イエス様はニコデモに、それなしには、神の国を見ることも、そこに入ることもできない、と言われました。

 この生まれ変わりは、イエス様のあがないの犠牲を信じて受け入れた結果です。イエス様が自分の救い主であることを信じて受け入れるときに、その人は生まれ変わります。その変化を感じる人もいれば、感じない人もいますが、その変化は起こっています。イエス様を信じたので、神から生まれた者となったのです。

 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。口語訳聖書、コリント人への第二の手紙 5:17-18

 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。エペソ人への手紙 4:24

 使徒パウロも、再生は聖霊の働きであることを述べています。

 わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け・・・る。口語訳聖書、エゼキエル書 36:26

 神様の愛情深い救いの計画は、私達を義として、神様の目から見て義と映るようにしてくれました。

 ・私達は、養子として神の子となりました。

 ・私達は、神様の家族の一員となり、もはや神様から隔てられてはいません。

 ・私達は、永遠の救いや、その他神様が約束されたことを相続する者となりました。

 ・私達は、新しく生まれ、新しく造られた者になりました。

 これらの数々の貴重な贈り物は、大きな犠牲を払って下さった神様の愛の結果であり、イエス様が私達のために命を捧げて下さったことの結果なのです。こうして、私達は神様と和解できたのであり、何ものも、それを変えることはできません。

 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。口語訳聖書、ローマ人への手紙 8:38-39

 私達のためにここまでして下さるほど、神様が人類を深く愛しておられることを、真に理解し、感謝することができますように。

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