マイ・ワンダー・スタジオ
良いものを 感謝しよう
金曜日, 7月 30, 2010

良いものを感謝しよう

 だれかがした良い行いや、だれかが言ったすばらしいことや名言や真理を感謝するのに、その人のすべてを受け入れる必要はないんだよ。良い部分を認めて感謝し、その益にあずかればいいんだ。でも、だからと言って、その人がしたり言っていることすべてを受け入れたくはないだろう。

 そのような心構えでいれば、わたしたちと全くちがうことを信じている人たちとでも、共通点を見つけるのが簡単になるよ。そうすれば、その共通点を用いて、イエス様や、わたしたちが持っている答えを提供することができるよ。

 わたしたちは、大勢の人たちがしている良いこと、すばらしいこと、人を元気づけることを、感謝して受け入れる。たとえその人たちが、わたしたちが賛成も支持もしないことを

別にしていたとしてもね。さらには、その人が過去に大きな罪を犯していたとしてもだよ。わたしたちが受け入れも賛成もしない特定の罪をもとにして人を判断してしまうなら、詩篇も受け入れられなくなってしまうんだ。ダビデは、ある人を死にいたらせたからね。

 ダビデ王はだれを殺させたか、知っているかい? また、彼はなぜそんなことをしたんだろう? それについてのくわしいことは、サムエル記下の11章で読んでね。

 詩篇51篇は、預言者ナタンがダビデの罪に対する神の罰を伝えに来た後、ダビデが祈った祈りだよ。10節にはこう書かれている。「神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。」 ダビデ王が神様の前でくい改め、くだけた心で謙虚になったことが、ダビデが後にイスラエルのより良い統治者、また指導者となるのに役立ったんだ。

 さらに言うなら、モーセはいかりにまかせて人を殺してしまったので、わたしたちはモーセや彼の指導者としての手本、また彼が書いた聖書の最初の5書を感謝できなくなってしまう。

 モーセは、パロの娘の家で育てられたけれど、ある時点で自分がユダヤ人であることを知るようになる。出エジプト記の2:11-15aには、エジプト人がユダヤ人の奴隷を打ち殺すところを目撃したモーセがおこってそのエジプト人を殺してしまい、その後パロのいかりをおそれて荒野に逃げた話が書かれているよ。

 だけど今日モーセについて考えるときは、彼の罪だけではなく、神様が彼を使ってイスラエル人をエジプトから導き出し、また彼らに十戒を授けたことを思い出すよね。

 ペテロはイエス様のことを知らないと言ったからとか、パウロはサウロという名前だった時に初代教会をひどく迫害したからとこだわっていたら、わたしたちは新約聖書を感謝し、そこから益を得ることもなかっただろう。

 使徒パウロは、クリスチャンを迫害することで新たな人生を始めたけど(使徒行伝9章を読んでね)、目を見張るような回心とくい改めの後、初代教会で最も影響力のある指導者の1人になったんだ。

 そういったことにこだわるなら、わたしたちが感謝したり益を被ったりできることは、ほとんど何もなくなってしまう。カンペキな人は、だれもいないからだ! 一体どこで一線を引いたらいいんだろう?

 大切なのは、美しい芸術を見たり、きれいな音楽を聞いたりするときは、神様がアーティストや作曲家に霊感を与えたことを感謝できるってことなんだ。たとえその人たちが神様のために生きていなくても、さらには神様を個人的に知らなくてもだよ。美しくて天国的なものは何でも、明らかに神様からの霊感によるはずだからね。「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から下って来る。」(ヤコブの手紙 1:17)

 だれかが主のために何かをしようとしていたり、世界を変えるために何かをしているとき、また信仰を貫いたり、貧しい人たちを助けようと正義のために戦っているなら、わたしたちはそれらの良いことを感謝し、その人たちを祈りで支えてあげることができる。その人たちが信じているすべてのことや、彼らの人生における選択に賛成していなくてもいいんだよ。

 地上におられた時、イエス様が人々とどんなふうに交流したかを考えてごらん。イエス様は、彼が賛成しないような選択をした人たちを、喜んでむかえ入れた。そんなことはイエス様にはどうでもいいことだったからだ。大切なのは、彼らがイエス様の愛を求めていたということで、イエス様はそれを自由にお与えになったんだよ。

 カンペキで罪を犯したこともないイエス様が、そんなにも他の人たちを喜んで受け入れてくださったのに、わたしたちがそれ以下のことをするなんて、できないよね?

 良いことを、もっと探すようにしよう。人々がしている良いことを感謝しよう。わたしたちや他の人が役立てられるように、人々が見つけた真理や知識や技術を他の人たちにも教えてくれることを、感謝しよう。

 そういった心構えを持っていれば、イエス様の良い大使になるのがずっと簡単になるよ。自然と、主の謙虚で、無条件で他の人を受け入れる大きな愛を持てるからね。

考えてみよう:

 -古い歴史上または現代史上の人で、大きな欠点があったにもかかわらず、社会に大きな貢献をした人のことを考えつけるかな?

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タグ: 受け入れること, ゆるし, 寛容さ