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弟子達は、なぜ イエス様に ついて行ったのか?
水曜日, 10月 21, 2015

弟子達は、なぜ イエス様に ついて行ったのか?

 イエス様に 出会う 前、アンデレは、バプテスマの ヨハネの 弟子の 一人だった。ヨハネが イエス様に バプテスマを 授け、彼こそが 神の 小羊だと 言うと、アンデレは イエス様の ことを もっと 知ろうと、彼に 会いに 行った。その時、兄弟の ペテロも いっしょに 連れて行った。イエス様の 教えを 聞いた 後、二人は 彼に ついて行って、もっと 学ぼうと 決めた。(ヨハネによる 福音書の 1:29-42を 読んでね。)

 ペテロと アンデレは、興奮していた。イエス様が、偉大な 教師や 預言者以上に すごい 人だと 思ったからだ。

 旧約聖書には メシアが 来られると 書かれていたので、彼らは その 到来を 心待ちに していた。バプテスマの ヨハネが、イエス様を 神の 小羊と 呼んだので、二人は、イエス様こそ、その メシアだと 確信したんだ。

 イエス様が ヨハネと ヤコブを 呼ばれると、彼らも、していた ことを すぐに 止めて、イエス様に ついて行った!

 イエス様が 言われた ことを すべて 書き記すなら、世界も、その 書かれた 文書を 収めきれないであろう。*1*

 イエス様は 弟子を 集め続け、まもなく 弟子達は 12人に なった。12人の 名前が 言えるかな?

 福音書には、イエス様が 行ったり 弟子達に 教えたり した 最も 大切な 事柄が 書かれている。だけど、ヨハネも 言っているように、イエス様は、書き切れないほど 多くの ことを し、また 教えられたんだ。

 イエス様は、行く 先々で、人々を いやすなどの 奇跡を 行ったり、旧約聖書の 教えを 説いたり している 内に、人々の 人気者に なった。みんな、イエス様が 好きに なったんだ。

 ところが ある日、イエス様が 「肉と 血」についての 話を すると・・・(ヨハネによる 福音書の 6:35-71を 読んでね。)

イエス様:人の 子の 肉を 食べず、また、その 血を 飲まなければ、あなたがたの 内に 命は ない。*2*

 みんな、その話を 聞いて、ショックを 受けた。弟子達もだよ! イエス様は 本気で 自分の 体を 食べろと 言っているんだろうかと、戸惑ったんだ。

 その後、イエス様の 人気は 落ちた。大勢の 友人や 信者達が 去ったんだ。もう、そんな 話は 聞きたく ないと 思ったんだね。

 後になって 弟子達は、イエス様が 何を 言おうと されていたのか、その 意味が 分かった。

 イエス様は、私達のために ご自分の 命を ささげようと している ことや、彼自身が 神様の み言葉である ことについて、話しておられたんだ。このことは、弟子達と 最後の 晩餐を している 時にも、また 話に 出されたよ。私達のために くだかれる イエス様の 体の 象徴として パンを 食べ、私達の 罪のために 流される 彼の 血の 象徴である ワインを 飲むようにと 教えられたんだ。

 信者達の 多くが 去るのを 見ると、イエス様は 12使徒に 向かって たずねた・・・

イエス様:君達も 去ろうと するのかい?

 ペテロは 大声で、こう 答えた・・・

ペテロ:主よ、私達は、だれの ところに 行きましょう? 永遠の 命の 言を 持っているのは あなたです(ヨハネによる 福音書 6:68)。*3*

 イエス様が 人気者か どうかに かかわらず、また、彼の 言われた ことを すべて 理解できても できなくても、これからも ずっと イエス様に ついて行きたいか どうか、信者達は 一人一人、決めなくては ならなかった。

 弟子達は ペテロの 言葉に 同意し、イエス様に 従い続けた。他の 人達には すでに 書かれた 旧約聖書が あったけれど、新しい 生きた み言葉を 持っているのは、イエス様だけだったからね。神様が 望んでおられる ことを し、神様が 望んでおられる 者に なる はげみに なる 言葉を 語れるのは、イエス様だけだったんだ。

 後に、イエス様の 教えが 気に 入らない 人達に 殺された 時、それは 弟子達にとって、ショックだった。それまで 弟子達は、メシアである イエス様が 何を されようと していたのか、まちがった 解釈を していたんだ。

 当時、ユダヤは ローマ政府の 支配下に あった。ローマ人は 神様を 信じていなかったから、ユダヤ人に、ローマの 法律に 従わせ、ローマ政府に 税金を 納めさせていた。だから 弟子達は、ローマに 対して 反乱を 起こし、その 支配から 逃れるのを、イエス様が 助けてくださるのだと 思った。イエス様が、実際に 彼らの 王様 かつ 指導者に なってくれる ものだと 思いこんでいたんだ。

 だけど、弟子達は まちがっていた!

 イエス様は、政治的な 権力には 全く 関心が なかった。ローマの 代わりに 国を 治める ことなど、興味なかったんだ。イエス様が 関心を 持っておられたのは、神様の 愛で 人々の 心を 変える ことだった!

 イエス様が 望んでおられたのは、天国の 王様、みんなの 心の 王様に なる ことだった。イエス様は、こう 言われた。「わたしの 国は、この世の ものでは ない!」

 イエス様が 地上の 王様に なる わけでは ないという ことが、弟子達には 理解しがたかった。だから、イエス様の 死は 全くもって おどろきだったんだ。

 人々には、イエス様の 任務が 失敗に 終わったように 見えたけれど、実際は 成就されたのだった! 一生を かけて、また 死と 復活を 通して、イエス様が 地上に 来られた 全目的と 意義は 果たされた。死に 打ち勝ち、王様に なられた。だから、今は イエス様を 通して、わたしたちは 永遠に、神様の 国に おける 永遠の 命と、彼の 命の 言葉を 持てるんだ!

 ヨハネは、ヨハネによる 福音書の 初めに、こう 書いている。「初めに 言が あった。言は 神と 共に あった。言は 神であった。」(ヨハネによる 福音書 1:1) その 続きは、こうだ。「そして 言は 肉体と なり、わたしたちの うちに 宿った。」(ヨハネによる 福音書 1:14)

イエス様:わたしが あなたがたに したとおりに、あなたがたも するように、わたしは 手本を 示したのだ。*4*

 イエス様が 地上に おられた 時、弟子達は 実際に み言葉と 共に 暮らしたという ことになる。イエス様が された ことは 何でも、み言葉に 書かれていた ことの 手本で あり、語られた ことは すべて、真実であり、み言葉だった。

 イエス様が 亡くなられ、聖霊が 信者達に 送られると、信者達は み霊に 満たされ、何ものも、彼らが イエス様について 他の 人達に 教えるのを 止める ことは できなく なった! 彼らが した ことについては、使徒行伝で 読んでね。

 弟子達は、むち打たれ、投獄された ことも あるけれど、それでも イエス様について、また イエス様から 教わった ことを、人々に 教え続けた。み言葉の 真実は 広まり続け、世界の 果てにまで 伝わった。そして、歴史を 通して 何百万人もの 人生が 変わったんだ!

 今日 イエス様は、死と 復活の 前に 初期の 弟子達と いっしょに 暮らしていた 時よりも、霊の 内では 私達に 近いんだ。物理的な 体で 弟子達と いっしょに いた 時は、毎日 毎瞬間 全員と いっしょに いることは できなかった。父と 過ごすために 一人で 山に 登った ことも あるし、友人や 家族に 会いに 行った ことも ある。たった 一人の 人と 話す ことも あれば、休んだり 食事を したり する 必要も あった。

 だけど、死から よみがえって、父の 元に もどった 後は、再び、遍在できるように なった。偏在とは、同時に どこにでも いることが できるという 意味だよ。だから イエス様は、父や 他の だれかと 話していても、君とも いっしょに いるんだ。

 弟子達が、地上に おられた 時の イエス様と いっしょに いた 時よりも、私達の ほうが、もっと イエス様と いっしょに いられるばかりか、私達には、聖書という 書かれた み言葉も あるし、子供達が 聖書物語を 楽しく 学べる 読み物も、たくさん ある。

 イエス様は み言葉で あり、イエス様は 愛だ。今日、イエス様を 知って、ついて行こう。神様の み言葉を 読み、祈り、イエス様の 愛と やさしさに 満ちた 手本に 習おう。

脚注:

*1* ヨハネによる 福音書 21:25 参照

*2* 口語訳聖書、ヨハネによる 福音書 6:53

*3* 口語訳聖書、ヨハネによる 福音書 6:68

*4* 口語訳聖書、ヨハネによる 福音書 13:15

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タグ: イエス様, 神に従う