2頭の ヤギが 争いを 解決する
イエス様:争いを 解決する ことについての お話を してあげよう。
2頭の ヤギが、せまい 山道を 歩いていた。1頭は、山道を 登っていた。もう 1頭は、山道を 下ってきた。山道は、1度に 1頭しか 通れないほど せまかった。つまり、すれちがう ことは できないという ことだ。
さあ、2頭は どうしたら いいだろう? 2頭とも 後ずさりして、たがいに 飛びかかろうと 構えて いるかの ようだった! ところが、目を 見張るような ことが 起こった! 山道を 登っていた ヤギの ほうが、身を ふせたのだ。そして、山道を 下って来た ほうの ヤギに、自分の 上を 歩いて 通らせたのだった。 その後 ヤギは 起き上がって、山道を 登り続けたんだよ。
争いは しばしば、たがいが 自分の 考えを おし通したがるために 起こる。こういう 時は、立ち止まって、相手の 人の 言いたい ことについて よく 考えてみる ことが 大切だ。例の 2頭の ヤギのように、たとえ、どちらも 自分の 意見を 完全に 取り下げて 相手の 望み通りに させる わけで ないと しても、へりくだって 相手の 意見に 耳を かたむける ことは、大切な ことなんだ。
そうする ことによって、しばしば 両方が 満足できるような 解決策が 見つかったり するものだ。たとえ、言い争いを 治めるために どちらかが 他方の 意見に ゆずる 必要が あったと しても、物事が 進む ことには 満足できるだろう。
意見の 食いちがいは、とても 困難な ことにも なり得る。だれが 正しいかよりも、何が 正しいか、たがいの 必要は 何かを、もっと 考える 必要が ある。しばしば、両方の 意見には それぞれ 利点が あるものだ。だから、関係ある 人達同士が 話し合って、解決策を 見つけるのが 最善なんだ。
「柔らかな 受け答えは 憤りを 鎮め、傷つける 言葉は 怒りを あおる。」(聖書協会共同訳聖書、箴言 15:1)
「わが岩、わが あがないぬしなる 主よ、どうか、わたしの 口の 言葉と、心の 思いが あなたの 前に 喜ばれますように。」(口語訳聖書、詩篇 19:14)
へりくだって たがいを 思いやり、話し合い、祈れば、どんな 争いも 解決できるだろう。