イエス様は、君が 病気の 時も 理解してくださる
病気の 時には どんな 気分に なるか、イエス様には 分かるかなぁって 考えたことは あるかい?
聖書には、こう 書かれてるんだ。
「わたしたちの 大祭司は、わたしたちの 弱さに 同情できない 方では ありません。罪は 犯されませんでしたが、すべての 点で、わたしたちと 同じように、試みに 会われたのです。」
「ですから、わたしたちは、あわれみを 受け、また 恵みを いただいて、おりに かなった 助けを 受けるために、大たんに 恵みの み座に 近づこうでは ありませんか。」(新改訳聖書、ヘブル人への 手紙 4:15-16)
聖書には、イエス様は 地上に おられた 時、わたしたちと 同じように ゆうわくに 会われたと 書かれている。だから、わたしたちの 必要な ものや、気持ちを 理解できるって 分かるんだ。
イエス様は 地上での 人生を、わたしたちと 同じように 赤んぼうの 時から 始められたんだよ。だから 子供時代は、ふつうの 少年たちと 同じく、きずや あざを 作っていただろうね。
きっと、わたしたちと 同じように、病気にも かかっただろうし、かぜで せきこんだり、おなかを こわしたことも あるだろうね。
今の 君たちに 比べると、イエス様には もっと 大変な ことだって あったよ。例えば、イエス様が 生きておられた 時代は、水道も なかったしね。水は、井戸から くんで 運んでこなくちゃ いけなかったんだ。
イエス様の 時代には、君たちが 使っている バンドエイドみたいな 簡単な ばんそうこうだって、なかった。
だから、ケガを したら、ばいきんが 入らないように、いろいろと 手間が かかったんだ。
イスラエルという 国は、日中は とても 暑くて かんそうしているけど、夜は 寒い。特に、冬は すごく 寒かったんだ。寒くても、ストーブは なかったし、暑くても、扇風機や エアコンも なかった。人々が 住んでいた 質素な 家は、昼間は できるだけ すずしく 暮らせるように 造られていた。だから、夜は 暖まらなくて 寒かったんだ。
料理を するには、家の 外で 火を たくか、あるいは 大きい 家だと、広い 中庭の 真ん中に 火を たく 場所が あった。
イエス様が 弟子たちと いっしょに 証ししながら 旅していた 時は、野宿したり、納屋なんかに とまることも 多かった。
「きつねには 穴が あり、空の 鳥には 巣が ある。しかし、人の子には まくらする 所が ない。」(口語訳聖書、マタイによる 福音書 8:20)
家々には、食べ物を 冷やしておく 冷蔵庫という ものは なかった。ということは、暑い 時でも くさらないような 調理法に するか、または 料理した 直後に 食べなくては いけなかったという ことだ。
君たちが いつも 健康で いるのは そう たやすくは ないのと 同じく、イエス様も、いつも 健康で いられるという わけじゃ なかったんだ。
イエス様は、君たちが 何の なぐさめも なしに いたみや 病気に 苦しむことを 望まれなかった。だから、君たちに 救いと いやしという 二つの 贈り物を あげるために、ご自分の 体を ささげて 死なれたんだ。
今度 聖餐式を する 時は、イエス様が 地上で どんな 暮らしを していたか、思い出してごらん。
「主は あなたの すべての 不義(罪深い 行い)を ゆるし、あなたの すべての 病を いやす。」(口語訳聖書、詩篇 103:3)